▲なにか分かりきったことだろう。
文化大革命のような「破壊というか、尽くを破壊させる」という行動によって、「礼儀」も破壊されてしまったということさ。
自分で分かっていて、自分達及び世界をミスリードしているのか。
中国人の中華思想たって、裏側にあるのは、上でふれた文化大革命で、なにもかも自分の手で破壊したことを「恥じている」ためであろう。
自分達の行動---自分達の直視もできないほどの惨めすぎる歴史というものを恥ているために、返って、他者へハッタリ、コケオドシ、捏造を繰り返しているだけではないか。
恥ずかしくて恥ずかしくて堪らないからこそ、他者に尊大な、コケオドシ、捏造を大声でわめきちらすのだ。
中国政府のあの食人鬼・報道官の態度・言い方をみよ。
そのことが丸分かりだ。
以下、新聞から抜粋。
中国人にとっては、日本人は年中を頭をペコペコと下げているように見えるという。
頭を下げるのは古代中国から伝わって来た習慣のはずなのに、不思議だ。
中国メディアは「どうして中国人はお辞儀や土下座をしなくなったのか」と記事を掲載。
記事は「日本や韓国の日常生活では、お辞儀や土下座はありふれた光景だ。先輩や友人に系を示す時、アイドルがファンに感謝を示す時、そして政府首脳が何らかのトラブルで謝罪する時に、頭を下げる。同じ東アジア文化圏にありながら、どうして中国人にとっては奇妙に映るのか」と疑問を提起。
そのうえで、古代の中国では日韓同様に土下座が行われていたこと、唐の時代以前において土下座は通常のお辞儀同様単なる礼儀の形式にすぎなかったことを紹介。
その後イスの普及に伴って人びとが地面より高い空間で日常生活を送るようになると、土下座が尊卑の色彩を帯びるようになり、もはや単に感情を示す動作ではなくなってしまったと説明。
また、清の時代に土下座が持つ尊卑の色彩がピークに達した。
そして、1949年に中華人民共和国が建国されると、旧来の制度が打破され、新しい観念が形成されていったと紹介。
身分や尊卑の観念が消え去り、お辞儀や土下座で示していた礼儀が握手など別のスタイルに変わっていったことで、これらの行為が中国人の日常生活から消えていったと。
頭を下げる行為が習慣から消えたことだけでは、「礼儀の国」のイメージが崩れることはない。
礼を示す形はどうあれ、そこに心がこもっていなければ意味がない。
ペコペコと頭を下げていても、心の中が伴っていなければ、それは礼儀とは言えない。
中国人だけでなく日本人も、礼儀について改めて考えてみる必要があるのかもしれない。
▲補足、感想など
なにを言っているやら—という文章だな。
核心は、中国共産党の指導の下に、「礼儀作法」が破壊され、暴力が横行する「無頼の世界」となったということだ。
ましてや、中国語という不完全言語では、高度で複雑な概念を他者へ伝えることはできない。
無頼の徒から、無頼の徒への「簡単な概念」しか伝わらないのだ。
礼儀も作法も、秩序だった行動も関係はないではないか。