▲いや、表題はある意味、真実を突いている。
でも、そのアホな有権者から選択される政治家がそれを言ってしまえばオシマイだろう。
表題の核心部分ってなんだろう。
おそらく、有権者の意思というか意向というものが、それだけ曖昧模糊としていてとらえどころのない、あやふやなものだ---という政治家からの感想があるのだろう。
でも。
その「あやふや」なものをうまくすくい取らないと、当選はできないのだ。
そのあたりの認識が、表題のように表現されているのだろう。
以下、新聞から抜粋。
「昔はよかった」──そう言いたいのではない。
利権や派閥の論理に彩られた「古い自民党」は、国民の批判を浴び、下野を余儀なくされたこともあった。
しかしそうした「汚さ」の半面、かつて党の中枢を担った議員たちには「政治とはかくあるべし」の矜持があった。
彼らは言う。
「今の自民党は、もはや国民のために在る政党ではない」──と。
党政務調査会長、建設大臣を歴任した亀井静香氏(80)が諫言する。
このところ自民党の若手議員や閣僚の不祥事が続いているのは、派閥が機能しなくなったからです。
かつては「資金の面倒をみる」「人事を責任を持ってみる」という機能が派閥にあり、それによって派閥幹部は若手議員に対する統制力を持ち、鍛えることができた。
ところが、いまはその機能が失われてしまった。
大臣も派閥幹部が人物を見極めて推薦するのではなく、そのときの総理と取り巻きが一本釣りで決めるようになったので、いい加減な人物が入り込みやすくなっている。
しかも議員になる連中がろくでもない。
自民党に限らないが、都議選を見ても、いままで政治に対して真剣に向き合ってきたような候補者なんて皆無でしょう。
有権者も風で選んでいるだけで、候補者を見ていない。
有権者がアホだから、アホな政治家しか出てこない。
誤解したらいけないが、安倍(晋三)総理はまともなんですよ。
総理として死にものぐるいでやっています。
しかし、使う“道具”がよくない。
道具というのはブレーンとなる政治家や役人のことですが、間違った道具を官邸に入れてしまっているんです。
彼の政治理念は、「格差是正」と「新自由主義反対」なのに、間違った道具を使うから、実際にやっていることは真逆なんです。
天皇陛下の生前退位にしても、一代限りにする法律をつくったが、彼の本来の主張は私と一緒で「生前退位は認めない」で、これもやっていることは逆。
ろくでもない連中のなかから道具を選ぶんだから、こうなるのも無理ないかと思いますが、安倍総理の弱点は決断力がないことです。
稲田防衛相の問題が出たときに、私は電話で「稲田をすぐに切れ」と伝えたが、彼はやらなかった。
次の内閣改造で更迭するからそのときでいいと思ったのかもしれないが、投票日前日に更迭しておけば都議選はもう少しマシな結果になっていた。
こんな簡単な決断もできないのです。
しかし、政権の支持率も下がってきたのだから、ここは決断して首の周りに巻きついている連中を切り捨て、最後は自分の信じる道を進んでみてはいかがだろうか。
▲補足、感想など
亀井さんの言っていることをすべて否定する気はない。
でも。
やはり、もう古い体質の政治家だとしか言いようがない。
インターネットの普及によって、他者のことも分かり過ぎるぐらいに分かるようになった。
情報量の不足によって、他者がコントロールできる訳ではない。
むしろ、情報量の「過大」によって、他者をミスリードできる時代となったということだろうなぁ。
先日来の安倍降ろしの森友、加計騒動は、そういうミスリードというか「だまし」のテクニックであった。
つまり。
有権者をミスリードしようと思えば、「情報量の過大」によって可能となる—ということだ。
そして、有権者は、「情報量の過大」により、容易に左右される。
亀井さんのいうアホな有権者によって、アホな政治家がでてくる—とは、そういう意味であろう。
結局、有権者というものは、情報量の過少によっても、過大によっても、簡単?にミスリードされてしまうものだ—ということだ。
それが、有権者のもつ「曖昧模糊性」なのだ。
簡単には、捉えることができないものだ。
上で「情報量の過大」によりミスリードされる—という有権者の「危うさ」にふれた。しかし、何度も同じ手が通用する訳ではあるまい。
次には、もう、同じ手を食らうものか—と有権者は考え言うだろう。
有権者のもつ「曖昧模糊性」こそが、政治家が戦う相手であり、容易ならざる相手なのだ。
それを、「有権者がアホ」といってしまうと、政治家としては失格だろうな。
有権者がアホなのではなくて、有権者の意思・意向を正確につかむことがそれだけ難しいということなのだ。
そのもつ「曖昧模糊性」のために。