2017年7月31日月曜日

人食い中国人は、科挙制度をどう見ているのだろうか

科挙制度とは、中国において1千年以上、使われた人材登用試験のことである。
 奈良時代、日本は遣唐使・遣隋使などからの情報で中国の制度を真似した。

 しかし、結局、日本人は、科挙という制度を採用することはなかった。
 なぜ、日本人が科挙制度を採用しなかったか? という問いに答える知識は筆者にはないのだが、遣唐使・遣隋使となった日本人の「目」には、日本が取り入れる価値があるとは見えなかったということだろう。

 科挙制度と取り入れなかったことで、中国の科挙制度の「弊害」も充分に認識できる。
 例えば、中国人が肉体労働を卑しみ、職人達を馬鹿にする—というのは知られている。

 要するに、科挙にも合格しないバカ、肉体労働しかできないバカ—と職人達をみるのだ。
 これで、匠がどうたら—と今、中国人がどうたら--言っているが、科挙至上主義の中国人には、せんないことではある。

 で。
 日本人からすれば、弊害の多い科挙制度というものを、中国人自身はどうみているのだろうか?

 以下、文章--掲示板の書込みを含めて--から。

 唐の時代、日本は唐朝の様々な物や制度を学んで採用した。
 しかし科挙制だけは採用しなかった。
 この点から見ても日本は他国から学ぶことが上手だと思う。
 科挙制は想像力を抑えて、記憶だけが得意な人材を量産してしまう制度だ。
 この制度を通して量産された文官は、官職以外は何もできなかった。
 千年以上続いた科挙制度は、中国に大きく悪い影響を与えてしまった。

 科挙 -wikipedia-
 科挙(かきょ、繁体字: 科舉; 簡体字: 科举; ピン音: kējǔ)とは、中国で598年~1905年、即ち隋から清の時代まで、約1300年も行われた官僚登用試験である。
1. 名無しの中国人
 これは科挙制度に対する公正な評価ではないね。
 科挙制は封建社会において優れた人材を育成する大きな役に立ったんだよ。
 その時代で世界で一番素晴らしい選抜制度だった。
 貧乏でもお金持ちでも、同じように挑戦できて平等だった。
 今の隠れた世襲にくらべたら全然平等だった。
 それにたくさんの優れた人材も出たしね。

2. 名無しの中国人
 日本は宦官制度も採用しなかったからな!

3. 名無しの中国人
 日本人は賢いわ。
 いろんな国のいいところを受けて自分の文化と融合させる。
 時代に乗らなかったり価値を見出せなかったりする文化は日本人がいくら物好きでも、思い切って捨てていた。
 本当に功利でものを選ぶ民族なんだよ。

4. 名無しの中国人
 科挙文化はごみだ。中国史の汚点だ。

5. 名無しの中国人
>>4
 科挙制がごみ?
 普通の人々が出世する唯一の道だったんだが。
 それらから生まれた優れた人材は歴史の発展に大きな貢献をした。
 日本が学ばないのは何か理由があったんじゃないの。調べもしないで適当なことを書かないほうがいい。

6. 名無しの中国人
 日本が学ばなかったのは中国の科挙制が良くなかったからではないんだよ。
 以前と比べて、世襲、察举征辟制(漢代の制度)、九品中正(魏から隋初まで行われた官吏登用法)などより全然良い制度だった。
 少なくとも普通の人々に平等に機会が与えられていた。
 科挙は良い制度だ。
 日本は学びたかっただろうけど、出来なかっただけだろうね。

7. 名無しの中国人
 「将来の夢は何ですか?」と聞けば、ほとんどの人は「良い大学に行きたいです」と言う。
 小さいときには、夢がそれぞれあったはずだ。
 たとえば、俳優とか、科学者とか。
 10年の勉強生活で今の自分が何をしたいのか?何をできるのか?
 分らなくなってしまうんだよ・・・

8. 名無しの中国人
 >>7
 そんなこと言わないけど・・・

9. 名無しの中国人
 日本に宦官制度がないのは、女性がある程度中国より自由だったからだよ。

10. 名無しの中国人
 中国では昔から、1人が役人になると家族の全員はもちろん、近所の人々まで優遇される。
 科挙の制度でも同様だが、家を継ぐ者が試験に受からなければその家族の繁栄も終了した。

11. 名無しの中国人
 科挙は普通の人々に出世できる機会を作った。
 これこそ中華文明が世界文明を超える原因だ!

12. 名無しの中国人
 日本人は外来文化に対して、良いのか悪いのかの判別が上手いから。

13. 名無しの中国人
 科挙制度は中国の古代からのいろんな制度より優れていたと思うよ。

14. 名無しの中国人
 現在の中国の選挙制度より、科挙は合理的だと思う。
 能力の無い者は試験に合格できなかったからね。

15. 名無しの中国人
 厳しい試験がちゃんとあるだけ、今よりは良いと思う。

16. 名無しの中国人
 >>15
 政治とは関係の無い内容の試験だったんだぞ?

17. 名無しの中国人
 お前らに合格は無理だから。

18. 名無しの中国人
 今の詰め込み教育は、科挙制度の頃と同じなんじゃないのか?

19. 名無しの中国人
 むしろ科挙制度は現代にあるべきなんじゃないか?

20. 名無しの中国人
 みんなもっと本を読め。
 本を読めば心も頭もよくなるぞ。

21. 名無しの中国人
 日本人は頭脳明晰だからね。
 コナンを見たら分かる。

22. 名無しの中国人
 日本は科挙の代わりにどうやってたんだろう・・・

補足、感想など

 ヤフーの知恵袋には、上でふれた疑問のようなものに答えている。
 それを転記してみよう。

 --ここから--
問い:古代の日本は中国の律令制度を導入した時に、何で宦官や科挙の制度を採用しなかったのですか?

回答:
 宦官については、導入時期と文化の差異が主因です。
 日本の古代文化は中国の殷と類似点が多く、この時代の制度が基盤となっていることは間違いないでしょう。
 しかし、中国でも殷代においては国家の規模が小さく、また、王の権力が弱かったため宦官の制度がなかったと考えられています。
 宦官が制度として発展・定着を始めるのは周による異民族支配と、それに喚起される文化・思想の多様性によるものです。

 つまり、牧畜文化の騎馬民族が流入し、土着農耕民を服従させる手段として目を潰したり(臣も民もこの目を潰した人という意味の文字で、奴隷を表します)、同化させるため男児を去勢するようになり始めるのは、日本文化の基盤が作られたずっと後の時代でした。
 日本は地理的要因によって、騎馬民族のような広範かつ急速に勢力を拡大できる民族の支配を受けず、流入民は流入地に留まったまま緩やかに土着文化に染まっていって、去勢文化が拡散・定着することがなかった。

 次に日本が大陸文化を積極的に受け入れるようになるのは平安期ですが、この時代にはすでに、日本の後宮は独自の文化が発達していました。
 光源氏の物語に象徴されるように、後宮での情事は禁制どころかむしろ賛美され、天皇までを交えての大乱行が是とされていた。
 これには幾つかの要因があります。
 一つは、日本の後宮は規模が小さく、奴隷に運用を委ねるほどの重労働ではなかったため高貴な身分の既得権となったからです。高貴な人間を去勢するなどあり得ません。
 もう一つは、後宮自体が藤原氏を主とする親族経営だったからです。
 中国の後宮はあらゆる民族の坩堝で身分も出身民族も様々、管理にも気を使うわけですが、日本はその必要がなかった。

 そして、日本には貞淑の美という概念が薄く、自由なセックスは土着文化として根付いており、その風土は王権よりも強かったと考えられます。
 女性の占有より血の拡散と共有、人口増の方が重要視された。
 それは、主に内政のためでしょう。シモで繋がることで連帯意識を高めていたわけです。
 さらに言えば、この時代は中国では唐代ですが、この頃すでに宮刑は廃止されており、日本はまたしても大陸の器官切除文化に触れることがなかった。

科挙は、その有用性、目的が日本では意味を成さなかったからです。
 科挙の本来の意義は、貴族の追放です。
 有用人材の登用というと聞こえはいいですが、それはつまるところ、無能で尊大な既得権保持者を政治の舞台から一掃し、その財産と利権を皇帝が奪うことで中央集権を強化し、万民総奴隷と化すことが最大の目的でした。
 先ほど述べた臣民という言葉がまさにそれにあたります。
 それに最も成功したのが、中国の制度に倣った中期以降のオスマン帝国です。

 しかし、日本が律令制と共に科挙を取り入れた際、そんな権力の強化は望むべくもなく天皇の力は弱く、しかも国の内外はそんな場合ではなかった。
 新羅・唐の連合軍に負けた日本は動揺し、政変が相次ぎ、国内は混乱をきたしていました。
 日本が必要としていたのは制度の先進化による各地の豪族の求心力の強化であって、排除ではありません。つまり、日本中の豪族を結集させるために取り入れたのです。
 つまり、科挙の制度の本来の意義は導入時点で失われており、貴族支配へのアンチテーゼとはなり得ず、有名無実化したまま戦国期を迎えて廃止されます。


 --ここまで--

 日本には、科挙も宦官も制度的に馴染まなかったということだろう。
 また、背後には、狩猟民族かつ大陸で敵民族と隣り合って居住するという人間特有の考え方があり、島国で農耕民族である日本人には、体質的に合わない制度であったのだろうな。

 まぁ、科挙制度は、明治以降に高等文官試験という形で本格的に取り入れられたと解釈するのが、真っ当か。

 いや、話がどこかにいった。
 この文章を書こうと思った「核の部分」は、冒頭で指摘した「科挙制度」の弊害というものを、中国人自身がどう思っているのだろう—ということだ。
 
 例えば、中国には万里の長城というものがある。
 元技術者の端くれである筆者には、なんと無駄の多い構造物かと思う。
 
 異民族の来襲を防ぐのに、山の天辺まで作る必要はあるまい。 
 馬に乗って襲ってくる民族を遮ればいいだけではないか。 
 なら、道路及び馬で乗り越えられる部分だけに構造物を造ればいい---

 こういう構造物を造れと命令したのは、科挙で合格した文官であろう。
 工学的・技術的な知識を有しない文官が、細かい検討もなしに、aからbまで、構造物を造れ---と単純に命令し、それをその通りに作ってしまう---

 なにか、揚子江に作った三峡ダムの建設に「通じて」いないか。
 三峡ダムの建設についても、なにほどの検討があったとは思えない。

 中国の指導者の頭って、基本、文系が主流であったのだろう。恐らく、科挙の試験の内容が文系であることで---
 中国人が、肉体労働を卑しむという話を冒頭でしたが、同時に、こういう工学的な、科学的な知識及びそういう人間をも軽視するのだろう。

 科挙制度からの弊害がいろいろ見えるが、中国人には、ベストに近い「出世のためのツール」らしいな。
 まぁ、人食い中国人自身が不都合に感じないというなら、他国からアレコレ言うことでもないか。