2012年10月31日水曜日

石巻市立大川小学校—震災後1年半を経過して。


▲東日本大震災が発生し、1年半以上を経過した。
混乱が収まると、どうも誰かがミスをしたとかいいたてる人間が多くなった。
石巻市立大川小学校というところで、震災時、多くの小学生及び先生たちが亡くなった。
この事故について、今頃になって、ああだこうだという人がでてくるというのは、なんなのかなぁ。
あの先生が判断ミスをしたとか言いたいのか。
「最悪の判断をした人間は誰だ?」と犯人探しをしたいのか。
筆者は、この議論に与しない。
あの津波の中で、生き残ったのは本当に「運のいい人」だけだ。
また、人は緊急時に誰しもが正しい判断ができる訳ではない。
確かに、この大川小学校の場合、避難するとして川の方へ子供達を誘導していった。
そこを川を逆流して津波が襲い、多くの生徒、先生方が亡くなったのだった。
川の方へ避難するという今になって考えればおかしな判断を誰がしたのかとか言いたいのか。
上でもふれたように、人間ってやつは、緊急時に誰しもが正しい判断ができる訳ではない。
こういう判断ミスを含めて、「運が悪かった」という言葉の中におさめてあげるべきではないのか。

以下、新聞から抜粋。

大川小児童の遺族が立ち上がってから4ヵ月明らかになった真実、隠され続ける真相とは
不誠実な事後対応は、なぜ検証されないのか
 東日本大震災が起きてから17ヵ月以上が経つ。
遺族たちはこの間、市教委の事後対応にも苦しんできた。
「二次被害だ」「市教委を検証してほしい」という声が、遺族のなかから上がっている。
 典型的な問題点は、生存者や帰宅して助かった児童たちへの聞き取り調査のメモを「破棄した」と、 調査を担当した当時の指導主事が言い続けていることだ。
 子どもたちと教職員84人の命が失われたという事故なのに、挙げ句の果てにメモを捨てるという行為は、公務員としてはあり得ない。
 事実関係を明らかにするという作業が、誠実に、緻密に行われたとは、決して言えないのだ。
 実際に、聞き取り記録や事故報告は、遺族側から、調査の矛盾点の指摘を受けて、変遷を繰り返している。
市教委は、震災から1年以上にわたって、校庭から子どもたちが「避難をした」と説明していた。
 201164日の説明会では、“避難”開始時刻は、「午後325分頃」。
それが、2012122日説明会では「午後330分頃~」に変わり、1年後の2012318日には「午後335分過ぎ」となった。
 遺族の追及によって、実際には避難と言えるような実態ではなく、 津波に襲われる1分ほど前に「逃げ始めた」といったほうが正しかったことが分かったのだ。
 校庭から避難をしなかった理由については、裏山に倒木があったためとしていたが、それも「倒木があったと思われる」と、市教委は途中で説明を変えた。
 また、児童が教諭に向かって「山に逃げよう」と言っていたという児童たちの証言が、調書にはひとつもないのに、 説明会での指導主事からの説明の中には出てくるという不審な点もある。
 さらに、重要な資料を、長期間公表しなかったという問題もあった。
 唯一生存したA教諭が保護者宛にメッセージを綴ったファックスを、市教委が公開したのは受け取ってから7ヵ月以上も経ってからだった。
また、震災から5日後という時期に、柏葉校長から聞き取った被災状況の調書が存在することが、 私たちの情報公開請求で分かったのは、震災から12ヵ月が過ぎた2012518日だった。
 このように、震災直後に市教委が混乱していた、という理由だけでは説明がつかない重要事項が、 疑問の残る形で公文書に残されてきたり、あるいは、ないとおかしいことが、なぜかなかったことにされてきたりした側面がある。


▲補足、感想など
福島の原発事故のなんだっけ、検証委員会とかいうものと同じ姿勢だなぁ。
混乱が収まると、どう対応したのかなどと、「鬼の首」をとったかのごとく、いいたてる。
いいたいことは、結局、「判断ミスをした人間は誰か」という犯人探しであろう。
福島の原発事故の検証でもそうだ。
枝野さんの言動までアレコレ追求していた。
でもなぁ。
福島の原発事故の時、菅さんとか海江田さんの様子をテレビでみたではないか。
菅さん、海江田さんは、事故の重圧でまともに判断できない様子だった。
ただ、あの重圧の中でも枝野さんだけは、頭も身体も動かせる人間だったのだ。
これは個人のもつ「資質」だ。
あの原発事故の重圧の中で、頭脳が活発に動く枝野さんのような人たちのお陰で、なんとかそれ以上、重大な事故とならず収まったのだ。
これは枝野さんのような人間にまず感謝すべきではないか。
それを、検証委員会とかいうところは、上から目線でアレコレ言っていたのだ。
大川小学校の例もこれと同じだ。
小学校の先生方が、菅さん・海江田さんのようなタイプの人達だけだったのであろう。
とっさの場合に、正しい判断ができないのだ。
 だから-------。
  a先生が、b先生が悪かった---とでも言いたいのか。<皆、亡くなっているのだぞ>
これはなぁ。
もう、「運が悪かった」としかいいようがない。
人間のもつ愚かしさをそういう「運、不運」という言葉の中に包含してあげるべきではないのか。
元に戻って、だから、筆者は、石巻市の教育委員会の姿勢が「不誠実」だとは思わない。
A先生が判断ミスをしたなどという結論にもっていくことには反対する。
石巻市の教育委員会は、どういわれようが、公表する必要はない。