2012年10月10日水曜日

自分の国は自分で守る—当たり前のことだ。


▲尖閣諸島について、中国という火の粉が降り掛かっている。
これを払うのは、日本人として致し方のないことだ。
それにしてもと思う。
中国のやり方は、100年前・世界ではやった「帝国主義」そのものだな。領土の拡張のみを考えるということか。
中国という国は、英国の産業革命に200年遅れた国家だ。「帝国主義」などという世界では100—50年前に終了したものが改めて息を吹き返している。
つまり、中国は、なにもかも200年「遅れ」の国家ということだ。
日本が「100年遅れ」の国であり、「坂の上の雲」を見上げながら、100年以上の歳月をかけて、日清戦争-日露戦争-太平洋戦争を経由して、欧米諸国を追いかけたように、今、中国は200年遅れで出発し、「中国版-坂の上の雲」を見上げながら、追いかけ続けているということなのだな。--しかも「帝国主義」という古めかしい鎧をまとって---
新帝国主義の勃興に対して、日本は自分の手で自国を守るという当たり前のことが求められている。
以下、新聞から抜粋。

 来るべき衆議院選挙では、自民党が政権に返り咲く可能性が高い。
 最大の試練は外交であり、尖閣問題への対処だろう。
 このままでは尖閣は再度の棚上げ、下手をすれば中国の主張をそのまま認めることになりかねない。
 先日、ニューヨーク・タイムズに、コラムニストが中国側の「日本が1895年に戦利品として中国から奪った」という主張をうのみにして、「中国の立場に同情を感じる」と記した。
 これを同紙の立場が中国寄りだからと、決めつけられないところが問題なのである。
 英経済誌エコノミストも、中国国内の日本企業攻撃には批判的だが、尖閣問題そのものに関しては中国の主張を一応は認めて、「海洋保護区にすることで合意してはどうか」などと提案をしている。
 ほかの海外メディアでも、尖閣諸島の付近の海域を立ち入り禁止水域にすればいいという提案をしているものがあり、問題の核心からは目を背けている。
 米国防長官が玄葉外相に尖閣は日米安保の対象と語ったので「もう大丈夫」と考えておられる方がいるかもしれない。
 しかし、かつてモンデール元駐日大使は尖閣を「安保条約の対象」であるとするいっぽう、中国が尖閣を軍事占領しても「米軍の軍事介入を強制するものではない」としていた。
 最近も、アーミテージ元国務副長官が「日米安保の対象」であっても「日本が自ら尖閣を守らなければ、われわれも尖閣を守れない」と述べている。
 米国が「日米安保の対象」と発言したからといって、米国が尖閣を日本に保障したと解釈するのは、能天気というしかない。
 中国は執拗に尖閣領有を主張して日本に対し威圧するだろうが、安保条約があれば、米国が自動的に軍事介入するわけではないのだ。
「米国が守ってくれる」といって溜飲を下げたり安心するのはやめてはどうだろうか。
中国経済は毛沢東時代には戻らないし、景気後退があっても中国が軍事費を減らさないことは、歴史が証明している。
 そもそも、この数年で次々と領土問題が頻発しているのはなぜだろうか。
米国が次第に東アジアからは後退する兆候を見せているからではないのか。
そのことをロシアも韓国も、そして中国も、しっかりと観察しているのだ。
 尖閣問題は変動の時代の前触れであり試金石なのだが、このままでは屈辱的な事件が待っているだけだろう。
新しい政権はいまの日本人の意識そのものをも変えるという、大業が課せられることになる。
そしてそれは新たな「臥薪嘗胆」の時代に他ならない。

▲補足、感想など
言葉だけ仰々しい記事だな、と思う。
もっと、はっきり言えばいいじゃないか。
自分の手で自分の国を守るという当たり前のことをする時代がきた--それだけのことだ。
まぁ、この記事を書いた記者も「日本人」というものが分かっていないなと思う。
数年前、総合誌bで「日本敗れたり」という特集をしたことがある。
その記事の中で、戦争へのきっかけの理由として、日本人の実像が国外から分からないのだということを挙げていた。
実像が分からないまぁ、ハッキリ言えば、“日本人は舐められやすい”ということだ。
ハッタリも言わないし、いかにも、殴ったらすぐへこたれそうに見えるのだろうな。
そのあたり、チャーチルの回顧録にあるとおりだ。
冒頭で、中国の帝国主義ということを書いた。
今の日本から見た100年<中国と日本との差>遅れの「中国」の姿が、丁度、20世紀前半の欧米諸国からみた「日本」の姿だ。
産業革命に100年も遅れた国が、日清-日露戦争を経て虚勢を張って、オレにも領土を寄越せと欧米諸国へ言い張っていたということだ。
今、中国が尖閣諸島はオレのものだと日本へ言い張っている姿に似ていないか。
東アジアはそれなりに国境が決まり、秩序を保っていたここに中国という「新帝国主義」を掲げた新興<実体は200年遅れというだけだが>国家が、「これはオレのものだ」といい始めた、ということだ。
20世紀の始めの世界はどうだったのだろう。
大航海時代が一応終了して、欧米諸国にとってはおおよそ海外領土の割り振りもきまり、それなりに秩序が保たれた時代だったのだろうな。
そこに今の中国と同じように、日本という産業革命に100年遅れの国家が「オレにも分前を寄越せ」と怒鳴りこんできたということか。----これが太平洋戦争への遠因だろう。---
欧米諸国からすれば、長いゴタゴタの期間を経て、やっと秩序が保たれようとしている時に、野蛮な100年遅れのイエローが割込んできて、秩序を壊しやがってと腹が立つ。これが、東京裁判での「戦争犯罪人」という言葉の真の意味だろう。
上で日本人の実像が分からないのが理由の一つと書いたが、まぁ、欧米からすれば真剣に見ようともしないだろうな。単に、秩序こわしの乱暴者にしか見えないじゃないか。しかも100年も遅れてさ。
なるほど、今の中国を見ている日本人の視点は、そのまま、20世紀前半、欧米諸国が日本を見ている視点と同じなのだな。
話がどこかへいった。
核心は、100年遅れの日本の隣に、産業革命に200年遅れ、帝国主義を掲げるのも200年遅れの中国という国が存在しているということだ。
そりゃ、国際的に見て時代遅れといえばそのとおりだ。
しかし、200年も遅れる国家は、自分が時代遅れの国家だという事すら認めまい。
200年遅れの中国の帝国主義に、100年遅れの日本は、自分の手で自分の国を守るという至って当然のことを堂々と行おう。