2014年7月18日金曜日

Dna が違っても父親---って。最高裁判決。

表題だけを読むと、最高裁判決に対して筆者が否定的だ---と解釈されるのは困る。
 反対だ。
 筆者は、最高裁の判決を妥当だな—と感じた。

 そもそも—と思う。
 通常、親子関係をdna で確認するか?
 その方が余程、変というか異常であろう。

 結婚して、子供が産まれた。一緒に暮らしている男性が父親となった---そういう自然で当たり前のことを、そのまま受け入れよう--というのが、最高裁の判決の主旨であろう。
 それが暮らしていく上での平穏を維持する最も確かな方法なのだ。

 いままでは、dna鑑定というものがそもそもなかった。
 だからといって、こういう手段でわざわざ、親子関係を確認するのか?

 結婚というものは、古より男女二人で一緒に暮らし、子供をなし、子供に夢を託し、次世代へ引き継いでもらう—そんな自然で営々と引き継がれる--そんな制度ではないか。
 まず、そういう自然さを受け入れ、結婚 →親子関係 というものを平穏無事の世界で継続していこう—ということであると思う。

 その意味で、筆者は最高裁の判決を支持する。

 以下、新聞から抜粋。

 争っていたのは北海道、近畿地方、四国地方の各夫婦(2夫婦はすでに離婚)。
 訴えなどによると、このうち北海道と近畿の夫婦は、 妻が夫とは別の男性と交際。

 出産した子と交際男性との間でDNA型鑑定をしたところ、 生物学上の父子関係が「99・99%」との結果が出た。
 これを受けて妻が子を原告として、 夫とは親子でないことの確認を求めて提訴した。

 DNA型鑑定で血縁がないと証明されても、 それだけで一度決まった父子関係を取り消すことはできない。
 最高裁第一小法廷(白木勇裁判長)は17日、 3家族が争ってきた裁判の判決で、 そうした判断を初めて示した。
 血縁よりも「子の法的な身分の安定」を重視した。


▲補足、感想など

 dna鑑定をして、例え親子でないといことがわかっても、一緒に暮らし、親子としての情愛に満ちた関係もあろう。

 冒頭でふれた。
 結婚して、子供が産まれた。一緒に暮らしていた男性が父親である—というのが普通である。
 それをdna 鑑定を持ち出す—という方が異常なことであろう。

 まず、結婚 →出産 →親子関係 という外形的な自然さを最優先すべきだ。
 結婚という制度を、親子関係というものを、できるだけ平穏無事な形で維持できるよう、制度として守ろう—という強い意志を、この最高裁判決の中に感ずる。

 筆者は当然だと思うし、その判断を支持する。