2015年2月9日月曜日

どこで自殺しようと勝手ちゃ勝手---。

この話、どこに核心があるのかな。
 表題のように、オレは死にたいのだ。どこで自殺しようと勝手じゃないか—とある個人がいう。
 山の中でも、海のなかでもそれはまぁ、お好きなところで、思うままに---

 でも。
 例えば、国会議事堂の上から飛び降りて死にたい—となるとこりゃ別だろう。
 国会が開かれない可能性だってあろう。

 ちょいと、喩え話として、うまくはできてはいないが—そんなことではないのか。
 つまり。
 個人だけの問題で、収まらなくなる—というところが話の核ではあるまいか。

 以下、新聞から抜粋。


 杉本さんは取材に、自宅を訪れた外務省職員らから 「返納しなければ逮捕する」との趣旨のことを言われ、返納を決めたと。
 杉本さんによると、同省職員と新潟県警の警察官ら計数人が訪れ、 旅券返納を求めた。
 この際のやりとりの中で、職員らは「返納に応じなければ逮捕する」との趣旨の発言をしたという。

 杉本さんは、「取材と報道の自由どころか、 言論の自由を妨げる行為。言語道断だ」と政府の対応を批判。
 杉本さんは、過激派組織「イスラム国」の日本人人質事件を受け、 シリア入りの計画を語っていた。

 「現地に滞在しなければ見えないものがある。
 ジャーナリストやカメラマンは現地に行く必要がある」とし、日本を出発してトルコ経由で現地に入り、 一週間から十日ほど滞在し、難民キャンプなどを取材する予定だった。


▲補足、感想など

 だから。
 死にたいのなら、どこでもおすきなところで。
 誰もなにも言いはしない。

 しかし。
 どんなアホな日本人でも、ある組織によって、「人質」にとられ、日本国を脅してくる場合、日本国は、それを知らん顔ができなくなる—ということなのだ。

 もう、個人だけの問題に収まらなくなるのだ。
 個人は確かに個人だ。
 でも、「日本人」なのだ。<日本という国の中では、ぼんやりしているが、一旦、外国へいくとその部分があからさまになる-->

 日本人という「資格」がある以上、日本という国は、自国の国民の生命・安全を守らなくてはならない---
 記事の「杉本さん」という人が、名前だけ「日本風」であって、国籍が中国人なら、日本という国は、関与などしない。

 こうしてみると。
 個人の自由意志というものが、実は、日本という国の「自国民の生命と安全を守る」という義務のようなものにのっかり、始めて十分な意味・効果があるということが分かる。
 まるで、お釈迦様の手のひらの上で、自在に遊ばされている「孫悟空」のようなものだ—ということが分かる。

 だから。
 この杉本さんという人。
 お釈迦様から、パスポートという名の「筋斗雲」を取り上げられたという話だな。