2017年8月21日月曜日

萌え絵が嫌なら、見なければいいだけ

いや、なにかというと、萌え絵が嫌いという人がいて。
 そりゃ、好き嫌いもあろう。
 嫌いなら、そっぽを向いていればいいではないか。

 萌え絵って、古くは鳥獣戯画から出発して、また、日本画の美人画を後継するものだろう。
 ヨーロッパ諸国を旅行して、どこか単調・退屈と思うのは、こういう萌え絵のようなものがないせいだろうな。

 以下、新聞から抜粋。

 漫画や絵画の絵柄は、好き嫌いが分かれる。
 作者の個性が如実に反映されるし、クセが強いのに多くのファンを魅了する絵を描く人もいれば、万人に広く支持されるような絵柄が得意な人もある。
 作風とは個性。それぞれに違った良さがある。
 とは言え、一部の人々から、なかなか理解されない絵柄もある。
 それが「萌え絵」だ。

■「不快感でいっぱい」「キモすぎる」と辛辣な賛同意見も
 先日「ガールズちゃんねる」に「萌え絵が溢れすぎてませんか?」という直球なタイトルのトピックが登場。
 投稿者の意図するところはこうだ。
 「当たり前のように企業や自治体とコラボしたり、ポルノまがいのゲームのCMも流したり、頭が痛くなる」
 ただ、「個人でヒソヒソ楽しむ分には許容できる」とも言っている。

 要するに、公の目に触れる場所で、萌え絵が幅を利かせているのが許せないってことのようだ。
 このトピックには意見が寄せられているが、多くはトピックを立てた人物への賛同だ。
 「ホントそう。 持ち歩けるバスの時刻表にまで萌え絵。不快感でいっぱい」
 「ロリコンの需要が増えてるのはこのせい。日本は変態が多いと世界に発信しているようなもの」
 「ほんとキモすぎる。いたるところに溢れてる。描く人も喜んで見る人も気持ち悪い」

 こんな感じに「言葉が過ぎるんじゃないの?」と飛ばしまくった意見が多い。
 もちろん「時代の流れだから……」と理解しようとする人たちもいるんだけど、少数派である。

■ 絵柄でなく描かれ方の問題?「性的バイアスがかかってるのが良くないと思う」
 萌え絵がなぜ女性から評判が悪いのか。
 考えるまでもなく、「萌え絵」=「男性オタクが楽しむために用意された女の子のイラスト」という認識があるからだろう。
 萌え絵ってやっぱりオタク向けのコンテンツで多用されているし、そういった絵に熱狂するオタクに気味悪さを感じた結果、絵にも否定的になったんだろう。

 それから、
 「絵柄じゃなくて、乳とか股とかの部分に現実にはあり得ない線や影があって強調し過ぎだったり、若い女だらけだったりして、性的バイアスがかかってるのが良くないと思う」
 ってコメントがあったように、描かれる女の子がやたら露出が多かったり扇情的だったりすることへの嫌悪感もある。
 確かに萌え絵は、他に目にする絵柄より性的な雰囲気なものが多い気がする。
 求めてないのにそういう絵が目に入るのは喜ばしいことではないし、公的な空間にそぐわないって気持ちもわからなくもない。

 正直なところ僕も萌え絵は苦手だし、好きか嫌いかでいうと嫌いではある。
 ただ、それでも世の中に萌え絵が溢れているのは需要があるからだし、企業も自治体も、その需要を利用してなんとか良い結果を出そうと模索しているわけなので、それを無思慮に否定するのは、僕は勝手だと思う。

 「観光でお城とか行くと、こういう絵が溢れてるんだよね。
 町おこしで取り入れるんだろうけど、せっかく歴史があるところも安っぽくなるよ」
 って声があったけど、この手の苦言って、仮に絵柄が変更されたとして、苦言を言った人達がその変更後のサービスにお金を投じるかどうかは未知数だ。

 だったら、苦言ばかりで投資してくれるかもわからない人より、最初から萌え絵が好きで金を出す層をターゲットにサービスを施す方が効率的だろう。
 絵に誘われてやってきた観光客がお金を落とし、経済を活性化させている事例は多々ある。
 要するに、個人の「見てて苦痛だから排斥しろ!」がどこまで通るかって話だ。

▲補足、感想など

 こんな議論、どこかでみたことがあるような---
 昭和30年代、永井豪のハレンチ学園という漫画に、主婦層がかみついた時の議論に似ている。
 子どもの教育にどうたら—と大声で言っていた、あのおばさまの主張といかに似ているか。

 どこらに核心があるのかな。
 筆者について言えば、萌え絵って好きだし、美少女フィギュアも好きだ。
 冒頭でふれたように、日本画の美人画の系譜に連なるものだろう—と筆者なりに解釈している。

 日本独自の「表現方法」とでも言えば、そう遠くはないと思うのだが。
 北斎漫画などの江戸時代から、連綿とつながってきた表現方法なのだ。
 もったいないと思わないか。

 こういう表現方法をアレコレためす---って、日本人の生活に活力を与え、ポスターとか教科書とか、広告とか様々に利用できるものだ。

 萌え絵という表現も、そのうち、スーパー萌え絵というようなものになり、また、別のものに変化していくさ。