2017年11月26日日曜日

絢爛たる醜聞 岸信介伝 工藤美代子著 平成26年8月刊 幻冬舎 感想

工藤美代子さんって、達者な人だなと感じた。
 対象である岸信介という人物との「距離感」がいい。
 近づき過ぎず、離れすぎず—適当な距離をとって書いている。

 まず、アマゾンでの書評をみてみよう。
 点数はバラバラで必ずしも好評という訳ではなさそうだが、5点の評価をしたもののみを転記したい。
 --ここから--

5つ星のうち5.0
 昭和天皇に次ぐ昭和史の中心人物とも言える岸信介の評伝がつまらない訳が無い
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 生前の岸信介に一度会ったことがある。
 会ったと言っても三十年ほど前、あるレセプションに主賓として出席されていたのを遠巻きにしただけだが。

 東条内閣の商工大臣であり、安保改定時の首相、私にとっては何れも教科書で学んだ“歴史”だったので、その歴史人物が存命でほんの数歩の距離に“人間”として存在いるということに、タイムマシンに乗ったような感覚を覚えた。
 レセプション参加者の輪から少し離れたところに一人で椅子に座っている姿は、威厳を感じさせつつも何処か寂し気であったことを覚えている。
 その後あまり時を経ずに鬼籍に入られたので、本当の歴史になられてしまったが、その邂逅以来私にとって気になる人物だった。

 その彼の評伝を書店で見つけた。文庫ながら五百頁を超える大作なので一瞬躊躇したが、彼の孫である安倍現首相の思想に岸信介の影響がどう繁栄されているのかという興味もあり、購入。読み始めたら止まらずあっという間に読了。
 筆者の工藤美代子さんの驚くべき取材力と筆力に因るところも多いが、満州帝国の建設者、東条内閣の商工大臣、A級戦犯容疑者、安保改定時の内閣総理大臣、佐藤栄作の兄、そして安倍晋三の祖父、一人物としては昭和天皇に次ぐ昭和史の中心人物とも言える岸信介の評伝がつまらない訳が無い。

 CIAGHQとの関わりもしっかり書かれている。
 昭和史に興味ある人には勿論、安倍晋三首相の行動や思想のバックボーンを知りたい人にも一読をお勧めする。

5つ星のうち5.0
 戦前・戦中・戦後の政治背景がよくわかります。
 2014812

 岸信介、日本史の教科書で聞いたことがあるけどよく知らない、そんな人が多いのではないでしょうか。
 昭和を代表する総理大臣であり、20148月時点で総理大臣である安倍晋三氏の祖父でもあります。
 そんな人ですが、戦前には満州で産業育成の中心官僚として名をはせ、戦争時には東条内閣で商工大臣。

 戦後には60年安保時の総理大臣として日本の歴史に深く関わってきています。安倍内閣では集団的自衛権の取り扱いが話題となっております。何故、集団的自衛権がここまで話題になるのか本書を読んで歴史的背景がよくわかりました。
 本書は岸信介氏の生涯に注目していますが、日本の政治史そのものです。現在の政治的背景を知る上でも読む価値があると感じました。
 岸信介氏に関心がある人はもちろん日本の政治に関心がある人にはオススメの本です。

 --ここまで--

 他者の感想文があると、なんとなく書きやすい。
 なにもかも、説明しなくて済むからだ。
 この本の概略は分かってもらえたと思う。
 で。この本を読んで、筆者のひっかかったというか、気になった部分を箇条書きにしたい。

1.岸信介氏は、太平洋戦争に突入した際、東條政権での商工大臣であった。さて、1941年、戦争を行うと決断した時の東条首相はどのような心境にあったのか—というのが、長い間、筆者は疑問に感じていた。
 勝てるとは思っていないだろう。また、結果的に300万人近い日本人兵士を「死に追いやる」ことになった。その決断はどのようになされたのだろうか。

 直接の話ではないが、岸さんが戦後,安保の新条約を調印した際の混乱について語っている。
 その部分を転記したい。

 「アイゼンハワーの訪日を中止したときだな。これは悩みに悩んだし、眠れなかったな。総理というのは最後は自分ひとりで決断を下さなけりゃならない。誰かに相談したり、戦前にように陛下にご裁可を願うとか、そういうことはもはやない。もし、陛下にご裁可を仰げば戦前なら『よし、分かった慎重にやれ』とか言われるな。『ダメだ』ということはまずあり得ない。そこなんだよ、明治憲法と違うのは。総理は総理は決断を下すただ独りの孤独な立場なんだ。後略

 つまり、東条首相がなした開戦の決断も天皇陛下の御裁可を仰げばよかったのだ。天皇陛下は「ダメだ」とは言うことはありえなかったのだ。
 責めを負う覚悟を東條首相はされていたろうが、反対はされない天皇陛下の御裁可を仰ぐという「行為」の下では、「孤独」ではなかったということだろう。

2.戦争の末期、東条首相との離反のきっかけは、サイパン島の守備についてであった。
 岸さんの曰くと東条首相の反論をみてみよう。

 東条と岸との意見衝突は、遂に東条内閣の崩壊にまで突き進むのだが、その重大なポイントはサイパン島の攻防にかかっていた。 
 「サイパンにいよいよ米軍が上陸するというときに、ぼくが総理に進言したのは、『自分は軍需次官として日本の軍需生産を預かっている責任から言えば、もしサイパンをとられたら、日本内地がB29に爆撃範囲に入って、日本の軍需工場は全部やられてしまう。そこで、サイパンで民族の運命を賭けた戦争をやれ。ここは日本にとって天王山だ。参謀本部や軍部は、まだレイテでやるとか、フィリピンでやるんだと言っているが、そんなことじゃ駄目だ』」とぼくが主張したら、これが東条さんの気に入らなくて、『きみの言う議論は国務と統帥を混同しとる。そういうことは、統帥の問題であって、国務大臣の言うことではない』と言った。ぼくは憲法論だの、国務と統帥がどうとかいう、形式論ではないんで、国の運命を賭している際だから、ということを言ったのだが、東条さんとの衝突の原因だった

 →東条さんの反論をそのまま素直に読んでいいのかは分からない。軍人でもないものに答える必要はない—とか思ったのかもしれない。
 しかし、岸さんの単刀直入さに対して、この場面でこういう答え方をするというところに、東条さんの「核心の掴めなさ」を感じる。

3.満州国の経済政策について
 岸さんは、満州国の産業経済政策を牛耳った人だ。
 そのあたりの岸さんの考え方を箇条書きとしたい。

 ・「私には、私有財産を維持しようという考えはなかった。それだから、例の森戸辰男の論文に対しても、私は国体とか天皇制の維持は考えるけれども、私有財産制を現在のまま認めなければならないと思っていなかった。私有財産の問題と国体維持の問題を分けて考えるというのは、その当時のわれわれの問題の基礎をなしていたんです。したがって、私有財産の維持というものに対しては非常に強い疑問を持っていました」

 これを受けて、「これは、後に革新官僚として岸さんが推進したいわゆる統制経済というものに繋がっていくわけですね」という問に対して、「まぁ、そういうことでしょう」と岸さんは首肯する。

 ・「満州国では極めて豊富な種々の資源開発を中心にして産業5カ年計画を樹立し、根幹として満州国の建設に大いなる努力を払いつつあることはご承知の通りである。とりわけ、鉄、石炭、電力については極めて順調に行っている。

 鉄のごときは暮れに二十五万トン炉二基の完成をみて、予定の百万トン増産計画が完全に実施され、既に1月からフルに動いているのである」
 岸は、約3年の満州駐在の間に懸案の産業開発5カ年計画を軌道に乗せ、満州での重工業発展の道筋を作った。

 →岸さんへの共産主義の影響を感じる。満州国の経済産業政策は、ソ連式の計画経済でなされたということだろう。それは充分な成果をあげていた。
 →戦後、日本と中国との間での戦時賠償問題が、1972年に田中-周両首相の間で、完全解決したのは、この成功した満州での産業政策の成功の成果を、中国が丸取りできたことが大きいのであろうな。