2017年11月16日木曜日

人食い中国人が、識字率がどうたら言っているぞ

中国の新聞で、識字率を取り上げた記事を見るのは始めてだな。
 中国人って、自国民の識字率に触れられるのを嫌がるようだ。
 なぜって、せいぜい30%強だからだろう。

 中国人という民族が、基本的に愚民化政策をとりつづけてきて、国民が賢くなることを制限しつづけてきたからだろう。
 「民」という言葉が、「針で目を潰した奴隷」を意味する漢字だという文章をみて、中国人の「核」の部分を理解した気になった。
 だからこそ、漢字というものを一際難しくして、庶民が文字を読めないようにしてきたのだ。

 そういえば、中国では、現時点でも新聞が読めるようになるのは、高校生くらいからなのだという文章を読んだなぁ。
 筆者など、小学生の半ばから新聞を読んでいた。

 ましてや、漢文などで、高度で複雑な概念を他者に伝えることはできまい。
 英語を補助的に使ってやっとのこと、欧米並の教育ができるということか。
 漢字・漢文に拘ることで、中国人という民族は、日本人を含め他の欧米諸国から較べて、大きなハンデがあるということなのだなぁ。

 以下、中国の新聞から抜粋。

 中国メディアは、日本国民のモラルが高い背景には、識字率の高さを維持すべく様々な取り組みが続けられていることがあるとする記事を掲載。
 記事は「数百年に渡り、日本人の識字率は世界のトップクラスにあり続けてきた。
 江戸時代には武士たちは100%文字を読むことができたほか、一般庶民の男性の約半数も読み書きをすることができた。

 戦後間もなく米国が実施した日本国民の識字率調査では97.9%に達したという」と紹介した。
 そのうえで、識字率がほぼ100%に近い現在でも日本政府は引き続き文盲者を出さないような措置を取り、人びとに知識レベルを高める機会を提供していると説明。

 文部省は各自治体に少なくとも1つは夜間中学を設け、種々の理由によって学ぶ機会を逸した人に教育を受ける場を提供することを求めており、今年7月までに80の自治体で夜間中学の設立を決定したと伝えた。
 日本の夜間中学について記事は、かつて貧困により日中は労働を強いられている子どもたちが学ぶ場として存在するも1960年代の高度経済成長期を経てその数は減少、その後不登校児童・生徒や外国人労働者が学ぶ場所に変わっていったと紹介。

 また、現在では夜間中学に通うことを望む高齢者も増えているとし、沖縄県那覇市の民営夜間学校では「人生死ぬまで勉強」をモットーに多くの高齢者がさまざまな授業を受けているとした。
 そして最後に「日本国民のモラルが高く、日本が調和の取れた社会であることは、基礎教育の普及や高い識字率の維持と密接に関係しているのである」と。

補足、感想など

 ほぅ、核心を掴んでいるのだな。
 じゃ、中国では—という文章とはならないのか。
 実際の中国人の識字率が、せいぜい30%強だということは書けないのか。

 このあたりだな。
 中国人の「のろまさ」の核心部分は。
 要するに、自分達を客観的に「直視」できないのだ。臆病だとも言えそうだ。
 だから。
 英国の産業革命に200年も遅れる「大のろま頭脳」なのだ。
 だから。現在の実際の識字率が30%強なのだ。
 だから。英国にアヘン戦争で負けるのだ。
 だから。日清戦争で日本に負けるのだ。
 だから。もうすぐ、来るであろう中国の経済破綻?にうまく、対処・対応できないのだ。

 核心は、中国人のメンツとやらか。
 なにか、中国人のメンツについての説明文があったな。

 --ここから--

 2010/10/17()
 周知の通り、中国人の行動原理の基本は、「面子(メンツ)」である。
 「面子」は、中国人にとって、自己の全人格、価値を表すものである。
 「面子を潰される」ということは、自己の人格が全否定されることを意味する。
 したがって、どんな屁理屈をこねてでも、それこそ絶対に自分の誤りを認めない。

 問題は、この「面子」が、えらく浅薄で、皮相的、外面的なものだということである。
 「面子」は、他人から見えなくては意味がない。
 人間の内面的価値なんか、中国人にとって全く意味がない。
 だから、外面ばっかりで、アホみたいに見栄を張り、意味なく威張る。
 早い話、猿や犬がみせる、縄張りを守るための「示威ディスプレイ」と同じである。
 したがって、より高度な人間の行動原理である、基本的人権、法の下の平等、言論の自由等なんか、猿や犬と同様、中国人には全く理解できない。

 こういう猿・犬と同じ程度の原始・未開の頭脳しか持たない中国人を、いかに制御、善導するかということが、国際社会に課せられた課題である。

 --ここまで--

 中国の歴史をみると、まともな封建制の時代を経ていない。
 皇帝 対 庶民 という日本の平安時代のまま、現在へ引き継がれているということか。
 日本の江戸時代のようなサムライが藩ごとに、戦争を担当し、かつ、官僚でもあるという時代がないのだな。

 通常の発展の歴史を経ていない民族とでも言えそうだな。
 それが、上でかいた「メンツ」なるものが残っている理由なのだろう。
 --猿・犬と同じ程度の原始・未開の頭脳しか持たない中国人を、いかに制御、善導するかということが、国際社会に課せられた課題 --か。

 それは、中国人が自分で判断することでしかないな。
 自分たちの現実の識字率さえ公言できない民族が、そのまま、まともになるとは到底思えない。