2014年9月29日月曜日

予知は失敗—か。

いや、確かに。
 でも、と思う。

 こういう現象にぶち当たるたびに思う。
 ニュートンが言ったという、「我々人類は、真理という大海の浜辺で砂遊びとしている子供なのだ」--という言葉を。

 地球という対象について、人類はまだなにほどの事を知っているわけではない。
 筆者は、表題の「失敗」という言葉にひっかかった。

 失敗と言われれば、確かにそう。
 ただ、技術者は、予知をしようと努力をしているが、まだ出来ないのだ。
 「予知」というものが、本当にできるかできないのか—それすらも分からない。

 技術者としては、うつむいて唇をかみしめながら「まだ、まともな予知ってできないのだ」というしかない。

 そのあたりを、世間の人は理解してあげてほしい。
 技術者としては、今のところ、「できないものはできない」というしかないのだ。

 以下、新聞から抜粋。

 世界の主要メディアは、御嶽山噴火のニュースを伝えている。
 救助活動の様子を詳報するとともに、噴火を予知できなかった点に焦点をあてる記事も目立った。
 朝鮮日報は、「噴火予知に失敗」との見出しで、特集記事を組んだ。
 同紙は、日本が「世界最高水準の噴火予知技術力を備えている」と評価した上で、気象庁が9月11日に85回の地震を観測したが、噴火を予知できなかったことから、「今回は完全な失敗だった」と指摘した。

 御嶽山の噴火によって、日本では富士山も噴火するのではとの不安感が、「大きくなっている」と報じた。

 東京特派員のルポ記事を掲載した。
 避難所で登山者にも取材し、降りしきる火山灰で息ができず、「地獄のようだった」との声を伝えた。

 中国の新聞では、今回の噴火によって、原子力発電の安全への懸念が高まり、原発再稼働に反対する世論が強まるのは必至との分析を伝えた。
 その上で、年明けにも原発の再稼働を予定している安倍政権に「不利」になる可能性があると指摘した。


▲補足、感想など

 う~ん、科学とエセ科学とを区別して欲しい—と思う。
 噴火の予知ができるかどうか—というのは、科学の範囲だろう。
 得られた事前の現象のデータだけでは、噴火する—と発表できるだけの根拠たりえなかった--ということだ。

 しかし、これを原発(川内など)の再稼働の合否までに敷衍するのは避けてほしい。
 御嶽山での噴火の予知ができないのだ → だから、姶良火山でどうこう—というと、もうエセ科学に近い。占いの類となってしまう。

 科学とエセ科学は違う。
 科学と占いとは違う。

 記事では富士山の噴火について触れている。
 確かに。完全に大丈夫とは言えまい。

 しかし、できるだけ冷静な科学的アプローチをした上で、判断することだ。
 無闇と、「オオカミ少年」となることは避けたい。