▲いや、確かに。
でも、と思う。
こういう現象にぶち当たるたびに思う。
ニュートンが言ったという、「我々人類は、真理という大海の浜辺で砂遊びとしている子供なのだ」--という言葉を。
地球という対象について、人類はまだなにほどの事を知っているわけではない。
筆者は、表題の「失敗」という言葉にひっかかった。
失敗と言われれば、確かにそう。
ただ、技術者は、予知をしようと努力をしているが、まだ出来ないのだ。
「予知」というものが、本当にできるかできないのか—それすらも分からない。
技術者としては、うつむいて唇をかみしめながら「まだ、まともな予知ってできないのだ」というしかない。
そのあたりを、世間の人は理解してあげてほしい。
技術者としては、今のところ、「できないものはできない」というしかないのだ。
以下、新聞から抜粋。
世界の主要メディアは、御嶽山噴火のニュースを伝えている。
救助活動の様子を詳報するとともに、噴火を予知できなかった点に焦点をあてる記事も目立った。
朝鮮日報は、「噴火予知に失敗」との見出しで、特集記事を組んだ。
同紙は、日本が「世界最高水準の噴火予知技術力を備えている」と評価した上で、気象庁が9月11日に85回の地震を観測したが、噴火を予知できなかったことから、「今回は完全な失敗だった」と指摘した。
御嶽山の噴火によって、日本では富士山も噴火するのではとの不安感が、「大きくなっている」と報じた。
東京特派員のルポ記事を掲載した。
避難所で登山者にも取材し、降りしきる火山灰で息ができず、「地獄のようだった」との声を伝えた。
中国の新聞では、今回の噴火によって、原子力発電の安全への懸念が高まり、原発再稼働に反対する世論が強まるのは必至との分析を伝えた。
その上で、年明けにも原発の再稼働を予定している安倍政権に「不利」になる可能性があると指摘した。
▲補足、感想など
う~ん、科学とエセ科学とを区別して欲しい—と思う。
噴火の予知ができるかどうか—というのは、科学の範囲だろう。
得られた事前の現象のデータだけでは、噴火する—と発表できるだけの根拠たりえなかった--ということだ。
しかし、これを原発(川内など)の再稼働の合否までに敷衍するのは避けてほしい。
御嶽山での噴火の予知ができないのだ → だから、姶良火山でどうこう—というと、もうエセ科学に近い。占いの類となってしまう。
科学とエセ科学は違う。
科学と占いとは違う。
記事では富士山の噴火について触れている。
確かに。完全に大丈夫とは言えまい。
しかし、できるだけ冷静な科学的アプローチをした上で、判断することだ。
無闇と、「オオカミ少年」となることは避けたい。