▲どこに核心があるのかなぁ。
もう、日本の戦後レジームの中で通用していた「日本を叩けばお金がとれる」「慰安婦で謝罪させればお金がとれる」という韓国政府と日本にいる朝鮮系洗脳工作員達の「常識」が通用しなくなったということだ。
もう、いくら日本を叩いてもお金はとれない、慰安婦で日本に謝罪させようとしても、日本は絶対に謝罪などしない。
なぜなら、戦後レジームの完全崩壊により、日本人が日本にいる朝鮮系洗脳工作員達(朝鮮系の新聞記者、論説委員、大学教授、政治家、コメンテーター、教師達)のいうことをまるっきり信じなくなったためだ。
もう、朝鮮系の工作員、朝鮮系の工作組織にだまされはしない、ミスリードされはしない。
天理市での強制労働なる掲示板の撤去騒動で、朝鮮系洗脳工作員達が、姿を表している。
いつまで、日本人がこういう工作員に騙されると思っているのだ?
その工作員達の妄想ぶり、バカバカしさにあきれてしまう。
以下、新聞から抜粋。
◇朝鮮人の日本への強制連行
戦時中、朝鮮人が日本に強制連行され働かされたとして、記憶を継承するため設置した碑や説明板が、論争を呼んでいる。
天理市では、飛行場建設のため強制連行があったと記した説明板が批判を受け、市が撤去。
結果、市が韓国側と行ってきた交流事業が中止に。
学者からは「安倍政権の下、市民レベルでも『歴史修正主義』的な動きが広がっている」と懸念。
10月、天理市役所。韓国の市民団体が、説明板の再設置を求める署名を手に訪れ、「過去回帰の姿は人権、平和に暗い影を投げ掛けている」と表明。
姉妹都市の韓国・端山市も再設置を要求。
両市は職員の相互派遣を中止。
説明板は1995年度、天理市が旧日本軍の柳本飛行場跡地に設置。
朝鮮人の労働者や女性が強制連行されたと解説していた。
2014年2月以降、「強制連行の根拠はない」として撤去を求める電話が十数件あり、市は同年4月、説明板を撤去。
並河健市長は「市の公式見解と解される掲示は適当ではないと判断」と。
こうした事例は天理市だけではない。
北海道猿払村では、飛行場建設に動員された朝鮮人被害者を追悼しようと、地元住民と韓国政府が村有地に追悼碑建設を計画。
だが、村に抗議の電話が相次ぎ、申請がなかったため、完成直前に撤去された。
14年には群馬県が、県立公園にある追悼碑前の行事で政治的発言があったとの理由で、設置許可を更新しないことを決定。
市民団体が処分取り消しを求めて提訴。
長野市、大阪府茨木市、福岡県飯塚市でも、強制連行の説明板などをめぐって同様の問題が起きている。
長崎市では平和公園内にある長崎原爆朝鮮人犠牲者追悼碑について、地元の「敷島の風」が撤去を要求。
代表の小川茂樹さん(51)は「日本から強制連行されたせいで被爆したことになっていて、歴史認識が誤っている」と主張、市は撤去しなかった。
市の担当者は「特に支障はないと判断した」と話す。
東京大の外村大教授は「日本の労働力が足りなくなり朝鮮人の意思に反した動員がされたことは各種資料からはっきりしている」と強制連行の事実は揺るがないと指摘する。
同志社大の太田修教授は「追悼碑や説明板は、過去の加害、被害の歴史を記憶し、二度と過ちを繰り返さないという約束のために必要だ。自治体は動じずに対応してほしい」と強調。
▲補足、感想など
戦時中のことだ。
日本・日本人が総力で戦っていたのだ。
朝鮮人がどうこう—と書いてあるが、1945年以前であれば、みな日本人ではないか。
「徴用(ちょうよう)」をわざと「強制連行」と呼び変えて、ミスリードしてやろう—としているのだ。
東京大の外村教授とか、同志社大の大田教授というのも、朝鮮系洗脳工作員であろう。
そもそも、外村、大田というのも、通名であろう。
本名でやれよ、こんなプロパガンダ。
冒頭でふれた。
もう、戦後レジームは完全崩壊しているのだ。
日本人は、日本にいる外村教授とか大田教授なんぞという朝鮮系洗脳工作員達にだまされることはない。
工作員のいうことなぞ、まるっきり信用していない。
もう、日本をいくら叩いてもお金はとれないのだ。慰安婦で日本人を謝罪させようとしても、日本人は絶対に謝罪も賠償もしない。
戦後レジームの崩壊した今、記事にあるような朝鮮系洗脳工作員達への日本人からの攻撃・排除という動きが加速されていこう。
もう、戦後レジームの崩壊を受けて、日本人は「次なる150年」という新レジームを構築中だ。
目玉が「後ろ向き」についている韓国人及び朝鮮系洗脳工作員達にかかずりあう暇などない。
いま、100年先行した「産業革命組」の先達達の背中さえ、日本には見えないのだ。
世界の最前線に立つということはこういうことなのだな、と思う。
手本もない、目標すらない—そんな薄闇の世界を自分の眼と才覚だけを頼りにして未来を切り開いていく---そんな段階に日本人は達している。
それが、「次なる150年」という世界だ。