2015年9月1日火曜日

日本人は歴史的に韓国人より劣等なのだそうな。

表題は、韓国人の謂いだ。
 ふ~ん。
 で、その根拠はなにさ。

 まず、その根拠を確かめてみよう。

 以下、新聞から抜粋。

 30日、安倍政権が推進している安保法案に反対するデモ集会が繰り広げられている。
 主宰側は12万人が参加したと発表。

 テレビニュースで報道された‘平和デモの場面’は目を見開かせた。
 日本で起きた事実が驚くべきことだった。

 830日、東京千にある日本国会議事堂の前に12万人の群衆が集まって「安倍政権直ちに退陣」、「戦争は必要ない」のスローガンを叫んだ。
 1968年に起きた安田講堂占拠闘争’が続き、強制鎮圧でけりがついて以来、日本で10万人以上が参加したデモや座り込みが起きたことはなかった。

 その後、日本の左派は保守派に比較すれば劣勢に陥ることになり、天皇崇拝を叫びながら‘再武装を要求する極右派は道路を回りながらデモと宣伝を独占した。

 日本は、経済大国という呼称を聞いたが、長期不況に耐えらえず、福島原発事故と政府の不十分な収拾のために、その地位が国際的に墜落の一途をたどることになった。

 韓国社会では日本がそのように衰退して行くのを見ながら‘当然の事’という反応が支配的であった。
 特に自民党の安倍が201212月、総理の席を占めてからは、日本が1930年代以来、侵略戦争で犯した行為を否定して1級戦犯を‘祀った靖国神社参拝を公式化するかと思えば、平和憲法を戦争憲法に変えようと作戦を広げ、韓半島、中国や東南アジアでも新軍国主義と破廉恥な過去の歴史歪曲’に対する批判の声が強まった。

 戦犯である岸信介の汚れた血を受け継いで平和を蹂躙しようとしても日本の主権者らはなぜ手をこまねいているのか’という叱責があふれるのは当然のことだった。

 歴史的に日本は民主化運動が韓国に比較して微弱だと伝えられている。
 天皇を現人神、生きた神と見る根深い観念が堅く席を占めているうえに、王権が弱い時代にも封建領主らに対抗して民衆が蜂起を起こしたことがあまりないという事実が立証する。

 しかし、日本に比べれば韓国の民主運動史は脈を引き継いできた。
 1894年の東学農民革命、1919年の31独立闘争、1926年の610万歳運動、1960年の4月革命、1980年の光州民衆抗争、1987年の6月抗争が証拠だ。

 ところが1993年に金泳三政権になった後、韓国社会で特に青年学生運動は19968月の‘韓総連事態’以来弱化の一途をたどり、キム・デジュン、ノ・ムヒョン政権には存在を見つけるのが難しいほど萎縮した。

 2008年、李政権になった後、米国産狂牛病牛肉輸入に反対する国民的抗争に青少年らが参加したが、その後は注目するほどの組織的動きがほとんど見られない。

 創意的で溌刺とした思考と行動を許容しない教育政策と世知辛い条件のためだと理解することはできる。
 しかし、若者たち自らが自身の城の中だけに閉じ込められている社会は発展できない。
 その城を破って出てきて集団と組織の力で民主化に向かって闘争していく時、光と希望が見えるだろう。

 それで歴史的に韓国より後進的だった日本で、若者たちはもちろんでネクタイ部隊、おばさんたち、高校生まで肩を組んで‘安倍退陣’と‘戦争反対’を叫ぶ姿が新たに深い印象を与える。

 キム・ジョンチョル自由メディア実践財団理事長


補足、感想など

 まぁ、なんのこっちゃ—という記事ではある。

 で、韓国人が、日本人より優等な根拠ってなにさ? 日本に天皇陛下が在位されているから—ということ?
 まぁ、お好きに言えば。

 日本の左派って---
 12万人? なにか4千人ぐらい—とかニュースで聞いたが。

 みな、日本にいる朝鮮系洗脳工作員達ではないか。
 韓国人が、日本にいる朝鮮系洗脳工作員達を讃える—てのが、上の記事なのか。
 お仲間で、たたえ合っているということだろう。
 なにか、やらせっぽいなぁ。

 安倍さんは、今国会で安保法案を通すとか--
 その記事を転記しよう。

--ここから--

 自民党は31日の役員会で、参院で審議中の安全保障関連法案について、927日までの 今国会で成立させる方針を確認。
 席上、安倍首相は「法案を今国会で成立させるべく、最後まで政府・与党が 緊張感を持ってやっていきたい」と強調。

 安保法案の対案を提出している維新の党との修正協議に関し、高村正彦副総裁は 「相手側が真摯に対応してくれたら、こちらも真摯に対応したいという 気持ちは変わっていない」と指摘。
 ただ、同党が事実上分裂状態に陥っていることから、 修正合意については「以前よりも楽観的ではなくなった」との見方を重ねて示した。 

--ここまで--

 まぁ、今国会で成立するだろう。
 日本を日本人の手で守る—という至極真っ当なことをやろうとしているだけだ。