2016年3月27日日曜日

慰安所へつれていったのは、朝鮮人女衒業者だ。

いや、どうでもいいことを繰り返すつもりはないが、韓国人の声闘ぶりに、日本人として対抗せずにはおられないもので、表題のいいとなった。

 声闘だから、韓国人もいいたけりゃいくらで言えばいい。いくらでも喚(わめ)け。日本人に向かって罵り叫べ。
 日本人も声闘なんぞで負けるものか。
 罵られ・言われれば、その倍にして言い返し、罵倒するし悪口雑言を繰り返すさ。

 以下、新聞から抜粋。

 日本政府は「慰安婦」「強制動員」はなかったと主張。
 本当にそうか?
 文書の証拠はなくとも「強制的な」慰安婦動員は実際にあった。

 証言集に出てくるチェさ んは軍服を着た男によってトラックにのせられ満州に引きずられて行 って金網の張られた軍部隊内で苦難に会ったと証言。
 証言集には強制動員事例が載 っている。

 それでは日本政府が「強制連行」を否認する理由は何か?
 被害者らを「自発的」「慰安婦」にすることによって国家責任をまぬがれようとしているのだ。
 一部、日本右翼は女性が自発的に 売春女性になったとすれば、これは単なる自由な取り引きで問題にならず犯罪でもないと主張。

 しかし、彼らが注目するのは慰安所に入った時点での強制性有無だ。
 慰安所内で起きた強制性は無視する。

 しかし、日本のこういう戦略は説得力がない。
 「慰安婦」問題は黙認される「必要悪」ではなく処罰すべき「性犯罪」と再認識される転換が始まったからだ。

 従って強制連行を否定する彼らに理由はなく、「それでは国家政策ではなかったのか?」と落ち着いて問い直せば良い。
 一方、動員の強制性に対する執着は日本の右翼だけに見られるのではない。
 被害者を「自発的」 売春婦と規定する日本に対する韓国社会の対応は被害者が「強制的に引きずられて行った」「純潔な娘」というものだった。

 しかし「強制性」に対する注目は自発性を口実に売春女性を差別する論 理を含んでいる。
 純潔性を強調するのは女性だけに要求される二重的性規犯を前提にする。
 同じ 家父長的論理によって被害者らは帰国後、長く家族と夫によって排斥、無視されたし離婚された。
 被害者らの多様な背景を認めなければならない。

 被害者の中には強制的に引きずられて行った場 合だけなく、だまされてついて行った場合、知人によって売られた場合もあって売春婦もいる。
 この ような多様性を認めないまま制限されたいくつかの典型で被害者を再現するのは「慰安婦」問題を単純化しかねない。

 「強制的に引きずられて行った花の様な娘」という被害者モデルに対し慎重でなければならない理由がもう一つある。
 被害者の経験をありのまま尊重する必要があるからだ。

 ある被害者らの経験は 典型的な被害者イメージに合うという理由で前面に浮上し、別の経験はそうではないという理由で 見過ごされたり沈黙されたりしかねない。
 慰安所制度の違法性は被害者動員の方法だけでなく、慰安所の中で彼女らが避けられなかった性的強制と監禁、望まない妊娠と堕胎など人身を拘束された点にある。

 従って慰安所内にいた女性は彼女たちが自分の足でついて行ったか強制的に引きずられて行ったか、10代少女か20代か、既婚女性か娼婦であったかにかかわらず、みなが同等な被害者に違いない。
 日本の国家政策で あることは被害者の動員方法や背景と関係ない。

 <キム・ジョンナン、ヨ・ソンハク博士>

補足、感想など

 もう、なにを言っているやらさっぱり分からない文章ではある。
 この文章を書いた人間ですら、分からないのではないか。

 軍服を着ていたから軍人というものではあるまい。
 朝鮮人女衒業者が、たまたま軍服に似た服を着ていただけであろう。
 女衒業者としては、親にもう前払金を払っているから、売りとばされた娘に直接、理由を説明もせずに慰安所へ連れていったということであろう。

 仮にこれが日本軍による誘拐というなら、第一親が黙ってはいない、犯罪ではないか、自分の娘を連れていかれて黙っている親などいやしない。大騒ぎとなるし、警察も関与してくる。

 元慰安婦と称する人達の証言を聞いていて、親がどうした、警察がどうした—という話が一切でてこない。
 つまり、これは、親が娘を慰安所へ連れていくことを同意していた証拠だ。

 だから。
 連れていかれた娘達が、訳のわからぬままに—であろうと、民間の女衒業者が、その親との間で契約しお金を支払った後で、慰安所へ連れていった--という話でしかない。
 強制性もへったくれもありゃしない。

 慰安所が日本軍の基地近くにあったことはそうだろうなぁ。
 しかし、それは需要と供給という関係でしかない。
 若い男性が多ければ、そこに需要があるということで、供給側の女衒業者としては慰安所を作りやすかっただけであろう。

 日本軍としても、兵士が性病に感染することを防ぐために、時折、慰安婦達に対して性病の検査などをやったのだろう。
 これは、最低限の関与とでもいうべきことだろうな。

 文章では、日本軍の基地近くに慰安所を設けたことがどうとか---と指摘している。
 まぁ、これは、日本人の特徴でもあるからだ。
 日本・日本人は、性欲を含む「本能」というものを肯定的にとらえるのだ。

 軍務に服していれば、当然、性欲を抑制できる筈---という風な「出来もしない」前提でものごとを考えないからだ。
 日本の仏教が、中世において「肉食妻帯」を認めた歴史をふりかえればそのことが理解できよう。

 逆に言えば、現在のキリスト教というものが、ある意味、そのあたりが未熟だと言えるのだろうな。
 沖縄の駐留米軍における兵隊による事件が起こるのは、このあたりを、「軍務に服している時には、当然、性欲は抑制できるはず」てな前提で考えているからであろう。

 昭和10年代であれば、売春というものは、別に法で制限されたものではなかった。
 慰安婦は、慰安所へ来た過程は様々であっても、需要と供給という関係で、ちゃんとした「仕事」をし、報酬を受け取っていた。
 キチンと仕事をした—ということでしかない。

 強制がどうたらなんぞ、民間の女衒業者とそこで働いていた慰安婦との間のことであり、お客であった日本軍・その兵士などとなんの関係もない。