2016年3月28日月曜日

反日、国賊、売国奴と異質なものを排除する言葉があふれる—と朝日新聞。

2014年に日本の戦後レジームが完全崩壊して、日本人から朝日新聞などの朝鮮系洗脳工作員達への攻撃が激しくなったことを表題のように言っているようだ。

 異質なもの—って、朝日新聞のことか。
 異質ねぇ。

 戦後レジームというものは、アメリカ-韓国-日本にいる朝鮮系洗脳工作員達 3者が結託した、日本人弱体化計画であり、また、世論誘導工作ではないか。
 朝日新聞は、最前線に立って、日本人を攻撃し、ありもしない慰安婦まで捏造して、日本人を卑しめ、おとしめた張本人ではないか。

 それが異質なのか。
 工作員そのものではないか。

 以下、新聞から抜粋。

 政治断簡)スプリング・ハズ・カム 政治部次長・高橋純子
 2016327

 全国各地から桜の便りが届いていますが、いかがお過ごしですか。
 こんにちは。
 「チリ紙1枚の価値もない」記事を書かせたら右に出るものなし、太鼓判を押してもらった気がして、うれしはずかし島田も揺れる政治部次長です。
 季節がめぐり、自然と足取りも軽くなるこのごろであるが、ずっと、引っかかっていることがある。

 あの家の窓は、どうして閉まったままなのだろう。
 一軒家。南隣にくっつくように立っていた家屋が取り壊され、駐車場になった。
 日当たりも視界も各段に良くなったはずなのに、いつもカーテンがひかれている。

 たぶんその家では、南の窓は「ない」ことになっているのだろう。
 開けたところで、どうせ隣家の外壁だから。いつしかカーテンの開け閉めさえ忘れられ、もしかしたら家具が置かれてふさがれているのかもしれない。

 窓を開ければ、これまでとは違う景色が見えるのに。
 うららかな日ざしがそそぎ、やわらかな風が吹き込んでくるのに。

 前回書いた「だまってトイレをつまらせろ」に批判と激励をいただいたが、どうにもこうにもいただけなかったのが「死刑にしろ」だ。
 どんなに気に食わなかったにせよ、刑の執行というかたちで国家を頼むのは安易に過ぎる。

 お百度踏むとかさ、わら人形作るとかさ、なんかないすか。
 昨今、わら人形はインターネットで即買いできる。
 しかしそんなにお手軽に済ませては効力も低かろう。良質なわらを求めて地方に足を運ぶくらいのことは、ぜひやってほしいと思う。

 訪ねた農家の縁側で、お茶を一杯よばれるかもしれない。頬をなでる風にいい心持ちになるかもしれない。
 飛んできたアブをわらしべで結んだら、ミカンと交換することになり……「わらしべ長者」への道がひらける可能性もゼロとは言いきれない。

 ひとは変わる。世界は変わる。その可能性は無限だ。
 だけど、「死刑にしろ」と何百回電話をかけたところで、あなたも、わたしも、変われやしないじゃないか。
 反日。国賊。売国奴。

 「異質」な他者を排撃する言葉が世にあふれるようになった。
 排除のために発せられる言葉。
 
 国家を背景にすると、ひとはどうして声が大きくなるのだろう。
 なにものにもよりかからず、おなかの底から発せられた主体的な言葉は、世界を切りひらく力を、もっている。
 スプリング・ハズ・カム。

 窓を開けろ。歩け歩け自分の足で。ぼくらはみんな生きている。

補足、感想など

 どこらに核心があるのかなぁ。
 日本にいる約一千万人もの朝鮮系の人間の一人として、1億一千万人の日本人との間で、どう「距離をとるか」を模索しているのだろうな。
 この記事は。

 いや、本来ならば、朝鮮系の人間として、どう日本人との間で「距離をとるか」--という問題を真摯に考えなければならなかったのだ。
 おそらく、1950年代~60代に。

 それが、戦後から2000年頃までの戦後レジームという体制下で、日本人への洗脳工作・世論誘導工作があまりにもうまくいったもので、日本にいる朝鮮系洗脳工作員達は、有頂天となったのだ。
 しめしめ、これは—と朝鮮系洗脳工作員達は思ったのだ。

 日本人はなにも気が付いていない。これなら、トコトンいけるところまで騙してやるぞ---と考えていたのだろう。

 ところが、2000年頃から2010年頃にかけて、日本全国津々浦々まで、インターネットが普及し、日本人全員の目の前に、戦後から2000年頃までの間に朝日新聞・日教組・フジテレビなどの朝鮮系洗脳工作員達が日本人相手にどのような行動をしたか---曝(さら)されてしまったのだ。
 戦後からの事件、捏造などの事実を、日本人全員が知ってしまったのだ。
 これが、日本の戦後レジームの終焉であり、崩壊となったものだ。

 戦後レジームの崩壊に伴い、日本人から朝日新聞などへの攻撃が激しくなり、もう、200万部程度しか購読者はいやしない。
 いつ、不動産賃貸業者へ会社の内容が変更となってもおかしくあるまい。

 そこまで追いつめられて、ようやく、本来なら1950年代に模索すべき、日本にいる朝鮮系の人間として、大多数を占める日本人達とどう距離をとるか—を模索しはじめたということだろうな。

 模索したって、うまく距離がとれるかどうかは分からない。
 そもそも、上の記事を書いた高橋とかいう日本人風の名前を使った次長だって、本来、朴とか金とかいう韓日二重国籍の韓国人であろう。いや、単なる通名かもしれない。
 いつまでもやれ差別されたの、どうされたの—とばかり主張して、日本人との間でうまく距離がとれるものか。

 まず、「やれ差別されたらどうたら病」からふっきれろ。
 話はそれからだ。