2017年10月13日金曜日

日本人のいう「頂きます」に中国人が言及

ふ~ん、と思った。
 よく、そんなことに気が付いたなぁ。

 日本人のつかう「頂きます」にも、「ご馳走さまでした」にも、仏教の影響があって、それぞれ深い意味をもっている。

 人間が生きるためには、他者の生命を奪わなくてはならない---それを業(ごう)という言葉で表現した。
 その意味で、人間は、罪深い存在なのだ。
 だからこそ、「頂きます」なのだ。
 他者の生命を頂いて、自分の生命を燃焼させるのだ。

 中国人が、よくそんなことに気がついたなぁと驚かされた。

 以下、中国の新聞から抜粋。

 日本には、食事前に「いただきます」と言う習慣がある。
 一方、中国にはない。
 中国人に説明する際には何か適切な言葉を探す必要があるが、往々にして起用されてきたのが「我開動了」という言葉。
 字面でも分かるが、「食べ始めます」という意味になり、やはり「いただきます」のニュアンス全てを伝えるには不十分なのである。

 中国メディアは「日本人の食事前のあいさつ、実は『我開動了』ではなかった?」とする記事を掲載。
 記事は「日本語を学んだ人もそうでない人も、日本人が食事前に『いただきます』と言うのは聞いたことがあるかもしれない。
 一般的には『我開動了』と訳すのだが、もともとはそういう意味ではなく、重要な意味を含んでいたのだ」と紹介。

 「いただきます」は漢字で書けば「頂きます」となり、もともとは物を持った手を頭上に掲げて恭しく「拝受します」という意味だった。
 そして、日本人が食事前になぜこのような仰々しい礼をするのかについて「動植物の生命を人間がいただく、ということを示すとともに、その感謝を示す意味がある。

 そして、食べ物自体だけでなく大自然への感謝も、そして現在では農家や食事に関わる労働者の苦労に対する感謝という意味も含まれるようになった」と解説。
 記事は「日本人は小さいころから礼儀の教育を受けるため、食事前に『いただきます』を言わないのは不敬の行為と認識している」と説明。

 中国にも、「食事にこもる多くの人の苦労を知るべし」という言葉があるとし、われわれにエネルギーを与えてくれる万物に感謝するとともに、食べ物を浪費しないよう心掛けるべきだと呼びかけた。

 日本の「いただきます」に相当する言葉がないのと同様、中国語には「ごちそうさま」にピッタリ対応する言葉もない。
 こちらは「我吃飽了」という訳がしばしば当てられるが、これもやはり「ごちそうさま」の全てを語るには不十分なのである。

補足、感想など

 ご馳走さまでした---は、この食事を供するために、「走り回ってくれた人達へに感謝」の意味だ。
 野菜をスーパーから買ってきた人に、そのスーパーに野菜も運んできた人に、野菜を育てるために走り回った人々への感謝という意味だ。

 二千年もある日本の歴史というものが、こんな「単純な言葉」に深い意味を与えているのだなぁ。

 逆に、5千年たらある中国の歴史は、中国人にこういう「深い意味を持つ言葉」を与えていないのか。
 そうか。
 中国人は、漢字に圧し潰された民族か。
 歴史的に、古代から識字率なんて1桁台(5%くらい)が続いていたのだろうな。
 大多数が、無学文盲か--
 
 ならば、「頂きます」も「ご馳走さま」もなくて当然だな。