▲小泉さんの言っていることはウソではない。
ただなぁ。
技術というものに一足飛びということはない。
飛行機というものが、グライダーのようなものから → レシプロの複葉機 → レシプロの単葉機 →ジェットエンジンの飛行機 と進化してきたように。
これが、グライダー → ジェット飛行機とはならない。
どうも、上で書いたような感覚を小泉元首相はもっておられないようだ。
現場での経験がないためだろう。
核心はなにか。
それは「電気は蓄積できない」ということだ。
可能性がある技術としては、超電導ということだろうが、まだ、目処もたっていまい。
一国のエネルギーのなん分の一かを担う蓄電技術など、夢のまた夢だ。
もう一度大切なことを言おうか。
技術というものに、一足飛びということはない。
毎日毎日1ミリすつ前進するものなのだ。
以下、新聞から抜粋。
「原発ゼロ」を訴える小泉元首相が、ブチ切れた。
小泉氏は、「原発ゼロ」論を批判した
読売社説に対し、反論を展開したのだ。
首相経験者が社説にかみつくのは異例中の異例。
小泉氏だが、自身に向けられた批判に“けんか師”の血が騒いだようだ。
「政治で大切なことは、目標として大きな方向を打ち出すことだ」
小泉氏が掲載したのは、「『原発ゼロ』を目指して」と題する論文。
怒りの矛先は、「小泉元首相発言 『原発ゼロ』掲げる
見識を疑う」と題した読売の社説に向けられた。
論文は、社説での小泉批判を引用し、これに反論するスタイル。
原発の代替電源・火力発電で電気料金が上昇し、経済に悪影響を
及ぼしているという読売社説の指摘には「蓄電技術の開発が進んでいるではないか」などと強調した。
「必要は発明の母」
「過ちては改むるにはばかることなかれ」
「『やればできる』は、魔法の合言葉」
文中では、印象に残るワンフレーズで説得力を持たせる小泉節も健在。
「挑戦する意欲を持ち、原発ゼロの循環型社会を目指して努力を続けたい」と締めくくった。
政治評論家のk氏は「元首相が新聞社の社説に反論するなんて聞いたことがない。変人の面目躍如だ」と指摘した上で、
こう続ける。
「現役を引退した小泉氏が旗を
掲げても、付いていく人はいないだろう」
小泉氏は「二度と国会議員に返り咲くつもりはない。原発新党は毛頭、考えていない」と述べ、脱原発を主張する
一部野党との連携を否定したばかり。
だが、批判を浴びれば浴びるほど闘争心に火が付く政治姿勢は現役時代のままだ。
相次ぐ批判にますますヒートアップするのか、それともご意見番で終わるのか。
元気に「原発ゼロ」を繰り返す71歳のご隠居は、
今後も注目を集めそうだ。
▲補足、感想など
冒頭でふれたごとく、まぁ、ウソではない。
原発ゼロという主張は、筆者は与(くみ)しないが、そう主張されることを邪魔はしない。
技術は進歩している—か。
高温超電導のことであろうが、高温物質が発見されて、30年余か。
30年程度では、まだまだ成果が出るのは、先のことだ。
あぁ、個別の家庭での蓄電技術というような意味かな。
乾電池・バッテリー等、確かに少しづつ進化している。
それでも、一国家のエネルギー供給をどうのこうの—というには早すぎる。
冒頭にもどって。
小泉さんのいうことは、ウソではない。
ただ、技術は原発に代替するエネルギーを云々するほど、進化はしていない。
今後20-30年という期間、一国家として依存できるエネルギー源は、原発しかない。