▲難しい問題だなぁ、と思う。
笹子トンネルでの事故の裁判で、施設側である日本高速道路が「事故を予見出来なかった」と主張。
これはなぁ、と思う。
もう、随分前に、砂浜で波打ち際に自然に空洞ができて、そこに女の子がおっこちで死亡するという事故があった。
あの事故に感じが似ている。
笹子トンネルでは、天井部分を構成しているコンクリート板を、トンネルの天井にアンカーを打ち込み、ここから鋼線をフラ下げ、この板を支えるというやり方だった。
事故は、このトンネルの天井部分に打ち込んでいたアンカーがコンクリートの劣化で抜け落ちたため(ウィキペディアでみると余り明確には書いていないのだなぁ)による。
う~ん。
どちらも「理屈の上では分かっているのだ」
砂浜の例では、石を組んで作った護岸工事ならば、波の作用で、少しづつ砂が海に流れ出し、護岸壁のすぐ内側に空洞をつくる。言わば、自然に「落とし穴」ができるのだ。
当然、大きくなりすぎると、上部の砂の重量を支えきれなくなり、落とし穴は自然に崩壊する。
では、いつ、どこにできるのか—という部分は全く、予測不可能だ。
笹子トンネルでも同じだ。
天井のコンクリート板の重量を支えているのが、トンネルの天井に打ち込まれたアンカーだ。
コンクリートが劣化すれば、当然、コンクリート板の重量を支えられなくなる。
劣化の進捗度とコンクリート板の重さとのバランスの下で、天井が存在していたということだな。
砂浜を同じで、いつ、どこで抜けてしまうか—という予見はほぼ不可能だろうなぁ。
う~ん。
天井にアンカーを打ち込んで—という部分に、なにか工法の選択ミスでは--とは感じる。
しかし、それはトンネルを作った時期での検討した結果での選択であろう。
砂浜の例でも、コンクリートでつくっても劣化するし、波からの侵食もある。
つまるところ。
こういう事故を予防するには、日々点検して、注意深く行動する—という以外にないのだな。
日本はバブル崩壊後、長い間、デフレであった。
デフレの下では、点検とかメンテというような部門の予算が削られる。一番、削りやすいところだからだ」。
20年間のデフレで、日本の高速道路などというインフラが傷んでいるのだ。
笹子トンネルの事故は、そういう「デフレで傷んだインフラの現状」をあからさまにした—と言っていいのだろう。
このあたりを踏まえて、「日本の強靭化計画」があるのだ。
コンクリートの耐用年数は、一応約60年だ。
もう、コンクリートの劣化にどう対応するか—真剣に考えなければならないタイミングがきている。
以下、新聞から抜粋。
去年、中央自動車道笹子トンネルで起きた崩落事故で亡くなった
遺族がトンネルを管理する中日本高速道路などに損害賠償を求めている裁判で、
中日本高速道路側が事故は予見できなかったと主張する。
去年12月、中央自動車道の笹子トンネルで起きた天井板の崩落事故で亡くなった5人の遺族が、
事故を防ぐための注意義務を怠ったとして、トンネルを管理する中日本高速道路と
安全点検を行う子会社に対し、合わせて8億9600万円余りの損害賠償を求めています。
横浜地方裁判所で開かれる口頭弁論では、
原告側が主張する過失責任について中日本高速道路側が初めて説明する予定ですが、
会社側は「天井板が緊急に補修する必要があるほど劣化しているとの
認識はなかった」などとして事故は予見できなかったと主張する方針。
さらに会社側は「天井板のボルトの状況を正確に把握するのは困難で、
点検を指示したとしても事故を防ぐことはできなかった」などと主張し、
過失責任について改めて争う姿勢。
▲補足、感想など
結論から言えば、施設の管理をしていた側にやや「責めを受けるべき油断がある」--という形になるだろうな。
それは、砂浜で落とし穴におちて死亡した児童の裁判と同じだ。
たしかに、高速道路側が一方的に非難を受けるというもの酷かもしれない。
でも、誰もミスをしていなくて、5人もの死者がでるのか—と言われば、う~ん、と天稟の針は、施設者側に傾くのは止むを得ない。
冒頭でふれた。
20年以上にも及ぶデフレは、じわじわとこの笹子トンネルのように、インフラを傷めてきたのだ。
今こそ、点検とか、こういうインフラの強靭化に積極的に取り組むタイミングがきたことを、この事件は象徴的に示している。