2013年10月28日月曜日

中国が宮崎監督を招く—って。

▲まぁ、宮崎さんが中国へ旅行へ—ぐらいはあるかもしれないなぁ。

 でも。
 なにか、中国人の思考方法では、宮崎さんを許容することができないだろうなぁ。
 宮崎さんも、中国人が嫌いだろう。(余計なことだが--

 なにか水と油だ--という気がするな。

 つまるところ、これは加藤さんの妄言なのだ。
 結びつきようもないものを、なにかいかにも結びつく—てな感じでしゃべっているのだろう。

 もしかして。
 オレが口利きをすれば、中国のアニメ学校の先生くらいにはなってくれるぞ—てなことを言っているのではあるまいか。

 以下、新聞から抜粋。

 日本の対中友好団体・日中友好協会会長の加藤紘一元自民党幹事長は基調演説を行い、 「互いの国のアニメを見て、同じ価値観をはぐくもう」と呼びかけた。

 演説の中で加藤氏は、日本アニメの大家である宮崎駿監督にふれ、宮崎監督は自然と人間との 関係をよりよく描きだそうと常に努力していたが、中国の若者もこういった監督の考え方に 大変あこがれている、と述べた。

 また、現在中国側は日中友好のために仕事をしてもらえないか と、宮崎監督を北京に招くため努力していると明かした。


▲補足、感想など

 だから、宮崎さんも中国へ旅行ぐらいはいくさ。
 でも、教えるとかなんとかはしない—だろうなぁ。

 宮崎さんが言っているではないか。
 外国人が自分のアニメを見てくれることは有難いが、観客として想定しているのは「日本人だけ」なのだ—と。

 要するに、自分が作成したアニメというものを「深いところまで理解してくれる観客は」日本人だけなのだ。
 そりゃ、宮崎さんは、世界中でアチコチで、なんやかやと言う。

 でも、上でふれたように、「オレのことが分かるのは日本人だけ」だと思っているのだ。
 筆者も、その通りだと思う。

 なんというかな。
 もう、アニメは、絵柄がどうしたこうした—という世界ではない。
 人間のもっている、その民族がもっている、心の奥底に秘められている「感性」というものに訴えることができるかどうかなのだ。

 そのためには、アニメの背景に、裏側に「巨大な混沌」が必要だ。
 その混沌とは、文字、絵柄、文化、科学、歴史、技術、民族、戦争、闘争、人種差別等、様々な要素で構成されている文字通りの「混沌」だ。

 民族として、中国人はそんな混沌をもっているか?
 その部分を理解しないかぎり、絵を描く技術だけでは、人の心をうつもの、人の心に訴えるものはできない—と宮崎さんは言っているだ。

 だから。
 たぶん、宮崎さんは、加藤さんの安易な口車に乗ることもあるまい。