2014年7月28日月曜日

女性の経済的独立が困難な日本だってさ。

なにか、奇妙な理屈が大手をふってまかりとおるのに我慢できない。
 どうやら、日本の女性が虐げられているとでもいいたいようなのだが。

 この人生で、生きるのが厳しいということに性差などあるまい。
 世の中には、能力のある人間と能力のない人間がいるだけだ。
 そこに男だから、女だから—なんて要素がどこにはいってくるのさ。

 まず、新聞から抜粋。

 きょうは船橋、あすは市川へ――。
 50代の独身女性は、毎日違う倉庫で働いている。
 倉庫内を荷物を運ぶ仕事だ。

 ネット通販で消費者が購入した品物を棚から取り、配送用の段ボール箱に入れ、 注文通りの品物が入っているか点検する。
 広い倉庫で一日中、衣料品、事務用品の棚を行き来すると歩く距離は1日数キロ。
 「一日の終わりには腰が痛む」と。

 登録する派遣会社から、毎日、メールが届く。
 900~1千円程度の時給を比べながら、あすあさってに働く現場を決め、 メールを返信する。
 週5回働き、稼ぎは月に13万円ほど。
 国民年金保険料などを支払うと手元に残るのは8万~9万円。
 ボーナスはない。両親と実家で暮らすが、「食べていくのに精いっぱいで貯金はほとんどできない」。

 約30年、働いてきた。待遇は下がるいっぽうだった。
 20歳のときに、事務職の正社員として就職。キャリアアップのため、夜間で有名大学を卒業。
 病気で、仕事を辞めざるを得なくなった。
 30代で再就職したとき、派遣の道しかなかった。

 外資系銀行に派遣されたときは、管理職も任され。収入は、月25万~ 30万円程度あった。
 事務職の派遣として、1~3年ずつ、10社近く渡り歩いた。
 派遣で契約が満了したとき、正社員の職につきたいと思った。
 職業訓練プログラム を受講し、パソコンのスキルを磨いた。

 だが、正社員の職を探すと、カウンセラーは「あなたに合った職場は 見つかりません」と言うばかり。
 50代になったいま、派遣先を選ぶ余地も狭まった。
 「女性は年齢がいくほど、仕事がなくなっていく」と思う。倉庫への派遣は、1年以上になった。

■「女性は結婚を」社会の圧力

 日本は、女性が経済的に自立することがむずかしい。
 国税庁の調査では、女性の平均給与は268万円で、男性の502万円の約半分。
 年間200万円以下の人は、女性だと 4割に上るのに対し、男性は1割にとどまる。

 結婚を前提に、「稼ぎ手」である男性の給与は比較的高く、女性は家計の補助という位置づけで低賃金に置かれる傾向が強かったからだ。

 税や社会保障政策にも共通する。
 配偶者の年収が103万円未満なら稼ぎ手の所得税が安くなる「配偶者控除」、サラリーマンの 配偶者が保険料なしで基礎年金を受けられる「第3号被保険者」がそうだ。

 男性議員たちに「女性は結婚し家庭に入るべき」という「意識」があることを示す。
 国会や地方議会では男性議員が9割前後を占める。
 男性中心の議員たちは、結婚を前提とした制度をつくってきた。
 「女性が活躍 できる社会」をめざす自民党本部の会合では「家庭で頑張る女性も評価すべきだ」との声が相次いだ。

 一方、20~64歳の単身女性の間では、所得が年125万円未満の人の割合である「貧困率」は31・6%(2009年)。
 4人に1人が 貧困層である単身男性以上に厳しい状態だ。
 貧困率は、65歳以上の単身女性だと、46・6%と半数近くにはね上がる。



▲補足、感想など

 なにか、僻み根性に溢れた記事ではある。
 じゃ、どうせいと。

 核心はなんだろうなぁ。
 特別、日本が女性を扱うのに冷淡な国とは思わない。
 冒頭でふれたように、能力の有無は、性差というものとは関係がない。

 日本の男には、「自分の家族を養うための技」というようなものへの執着が強いのだろうな。
 日本の男女の差というものは、この「執着の強さの差」なのだ。
 そして、それは世界のどこにいっても同じだ。

 記事で派遣の女性の収入がどうこう—となっているが、この理由は、「性差」ではない、上でふれた「執着の差」が原因だ。
 つまり、上の記事は、「執着の差」というものが根本的な原因であるものを「性差」というところにミスリードしている記事だ。

 こんな姑息なミスリードで、女性の働き方がよくなるものではあるまい。

 じゃ、なせ、女性の「執着が弱い」かといえば、男性が働き女性が家を守る—という伝統的な考え方が根底にあるからであろう。
 この古典的な考え方が、男女が平等ではない—てな方向へもっていこう-としているようだが、それもおかしいだろう。

 日本という国の男女の格差なんて殆どあるまい。
 権利としては等しくても、女性の場合、出産・子育て—ということがある。
 女性の出産・子育てというものへの対応が、キャリアを形成する過程で、仕事を続ける・続けないということの分岐点となっているようだ。

 筆者は、日本の古典的な考え方というものが、おかしいとは思わない。どう選択するかは、その家庭の総合的な判断であろう。

 もう一度、大切なことを繰り返そう。
 能力というものは、性差に関わらず平等に与えられている。
 男性側の方が、相対的に収入が多いのは、上で書いたように「家族を養う技への執着の強さ」の故だ。
 「執着の強さの差」を、「性差」というものと混同するな。

 記事にある派遣の女性のキャリアをみていると、一人で生きていくには「執着が弱すぎる」。
 現在、収入が少ないのは「性差」のためではない。

 自分が弱い立場に立つと、その理由を「性差」とするのは、社会全体をミスリードするものだ。
 まず、現実を直視せよ。