▲表題だけを読むと、最高裁判決に対して筆者が否定的だ---と解釈されるのは困る。
反対だ。
筆者は、最高裁の判決を妥当だな—と感じた。
そもそも—と思う。
通常、親子関係をdna
で確認するか?
その方が余程、変というか異常であろう。
結婚して、子供が産まれた。一緒に暮らしている男性が父親となった---そういう自然で当たり前のことを、そのまま受け入れよう--というのが、最高裁の判決の主旨であろう。
それが暮らしていく上での平穏を維持する最も確かな方法なのだ。
いままでは、dna鑑定というものがそもそもなかった。
だからといって、こういう手段でわざわざ、親子関係を確認するのか?
結婚というものは、古より男女二人で一緒に暮らし、子供をなし、子供に夢を託し、次世代へ引き継いでもらう—そんな自然で営々と引き継がれる--そんな制度ではないか。
まず、そういう自然さを受け入れ、結婚 →親子関係 というものを平穏無事の世界で継続していこう—ということであると思う。
その意味で、筆者は最高裁の判決を支持する。
以下、新聞から抜粋。
争っていたのは北海道、近畿地方、四国地方の各夫婦(2夫婦はすでに離婚)。
訴えなどによると、このうち北海道と近畿の夫婦は、
妻が夫とは別の男性と交際。
出産した子と交際男性との間でDNA型鑑定をしたところ、
生物学上の父子関係が「99・99%」との結果が出た。
これを受けて妻が子を原告として、
夫とは親子でないことの確認を求めて提訴した。
DNA型鑑定で血縁がないと証明されても、
それだけで一度決まった父子関係を取り消すことはできない。
最高裁第一小法廷(白木勇裁判長)は17日、
3家族が争ってきた裁判の判決で、 そうした判断を初めて示した。
血縁よりも「子の法的な身分の安定」を重視した。
▲補足、感想など
dna鑑定をして、例え親子でないといことがわかっても、一緒に暮らし、親子としての情愛に満ちた関係もあろう。
冒頭でふれた。
結婚して、子供が産まれた。一緒に暮らしていた男性が父親である—というのが普通である。
それをdna 鑑定を持ち出す—という方が異常なことであろう。
まず、結婚 →出産 →親子関係 という外形的な自然さを最優先すべきだ。
結婚という制度を、親子関係というものを、できるだけ平穏無事な形で維持できるよう、制度として守ろう—という強い意志を、この最高裁判決の中に感ずる。
筆者は当然だと思うし、その判断を支持する。