▲先住民族という言葉が気に入らない。
要するに、紀元前3世紀の頃、弥生人が中国・江南から日本に来たとき、既に日本列島で住み暮らしていた人達(縄文系の血が濃い人とでも言えばいいのかな)のことであろう。
日本列島において、都から遥かに離れた辺境の地に残された人達だ。
鹿児島にいる隼人族だって、アイヌとかわりはしない。
沖縄の人達もそうだ。
四国の山に中にいる人達もそうだろう。
その人達は、べつに「差別」がどうたら言わないが---。
だから。
そもそも、先住民族だ—という言い方がおかしいのだ。
単に、縄文人の血が濃いというだけではないか。
大きく日本人という枠の中で、多少、個性が強い人達だという意味しかないではないか。
以下、新聞から抜粋。
アイヌ民族の存在を否定するヘイトスピーチ(差別扇動表現)が全国各地で頻発している。
自民党金子快之・札幌市議のアイヌ民族否定発言が火を付けた形だ。
差別と偏見に満ちた「在日特権」なるデマが蔓延したのは、メディアの大半が「報じると相手の宣伝になる」などと黙殺したからである。
「在日特権」の愚を繰り返さないためにも、アイヌ差別の言説を野放しにしてはならない。
▲補足、感想など
在日特権は別にデマではない。
事実、存在している。
別にアイヌというものが存在していない—とは言っていない。
冒頭でふれたように、アイヌも鹿児島の隼人族、琉球人も、大きくは日本人の枠内に入ってしまうものなのだ。
同一民族でも、まったく同じ風習、風貌を持っているわけではない。
北海道という土地が、京から余りに離れた遠隔の地であったものだから、東北地方あたりにいたアイヌ族が簡単に弥生人に取り込まれ、混血して分からなくなったような道筋を通ることができなかったのだ。
端的に言えば、アイヌ族というものは、日本列島に一番早くから居住している縄文人の風習、言葉などを、日本の明治初期まで持ち続けた人達だ。
琉球人も同様ではあるが、江戸時代に島津藩によって、統治されることで、風習・風貌が日本人の主流に近づいただけだ。
だから。
取り立てて、アイヌ族だけを「先住民族」なるもので、特別扱いする必要などないではないか。
アイヌ族をいうなら、鹿児島の隼人族、琉球人、四国の山の中に住んでいる人も同じように「先住民族」とすべきではないのか。
なぜ、アイヌだけ特別扱いされるのか?
その部分になにかうさんくさいものを感じているということだろう。
やれ、差別されたのどうの—と在日韓国人と言い方がそっくりではないか。
もう、戦後レジームは崩壊している。
いまさら、アイヌをめぐって、新たな「在日特権」ができあがることに反対する。