▲まぁ、確かにあり得ない話ではなさそうだ。
室町時代に、果心居士(かしんこじ)という幻術師がいた。
ちょいとウィキペディアから転記してみよう。
--ここから--
■小泉八雲の『日本雑記』に『果心居士の話』があり、果心居士が絵の中から船を呼び出し、船に乗り込むとそのまま絵の中に消えていったという。
■林義端『玉箒木』より「果心居士幻術の事」
伝えられる果心居士の幻術は、次のようなものである。
★猿沢池の水面に笹の葉を放り投げると、笹の葉がたちまち魚となって泳ぎ出した。
上記の術を信用しようとしない男の歯を楊枝でひとなですると、とたんに歯が抜け落ちんばかりにぶら下がった。
★松永久秀とは特に親交があり、久秀が「幾度も戦場の修羅場をかいくぐってきた自分に恐ろしい思いをさせることができるか」と挑んだところ、数年前に死んだ久秀の妻の幻影を出現させ、震え上がらせた。
★豊臣秀吉に召されたとき、果心居士は秀吉が誰にも言ったことのない過去の行いを暴いたために不興を買い、捕らえられて磔に処された。
しかしこの時、果心居士は鼠に姿を変えて脱出し、それを鳶がくわえてどこかに飛び去ったともいう。
--ここまで--
とまぁ、異様な能力の持ち主であったが、筑後の生まれとされている。
九州出身というのは、確かに中国人となんらかの縁があったのでは—と窺わさせる。
まず、中国の新聞から抜粋。
日本や中国、韓国のネット上では、物や文化の「起源」が話題となる。
中国メディア・今日頭条は、「日本の忍術は、中国が起源である」と掲載した。
記事は「日本の忍者は、寿司や芸者同様全世界に深い影響を与えている。忍者は『秘密裏に行動する人』という意味であり、アニメ『ナルト』も忍者文化の海外輸出に貢献したと言える」と紹介。
その流派は大きく甲賀と伊賀の2つに別れるが、忍術や忍者の起源には様々な説が存在するとした。
そのうえで、中国国内には「忍術の起源が中国の漢の時代の五行術にある。現代の中国では五行術は伝わっていないが、日本ではこの武術が大いに発展した」と考察する人がいると紹介。
忍術思想の源は中国の殷・周の時代の太公望・呂尚にあり、その後、孫武、張良、韓信などがこの理論を充実させ、特に孫武による「孫氏の兵法」は忍者たちに崇められたとの論理を展開した。
記事はまた、日本の忍者が真に活躍したのは、徳川家康が作った特殊部隊であると紹介。
そして、有名な忍者である服部半蔵の祖先は中国人であるとし、「かつて中国や朝鮮から特殊技能を持つ人材が続々と日本にやってきて京都に定住し、その後付近の伊賀や甲賀に転居して生活するようになった。
服部家はもともと秦という姓だったが、日本と同化していく過程のなかで服部に改姓したのだ」と説明している。
日本は古代から近世にかけて中国から様々な物を吸収し、その多くを自分たちに合うようにアレンジしたうえで自前の文化に変えていった。
それゆえ、寿司にだって和服にだって忍者にだってどこかしらに中国を起源とするものが含まれていてもおかしくはない。
ただ、起源がどこかというよりも、それをどう伝えてどう発展させてきたかの方が大切なのではないだろうか。
▲補足、感想など
孫氏の兵法なんて、武田氏の旗印・風林火山を見れば、日本全国に知られていたことは一目瞭然ではないか。
なにを今更—という中国の指摘だけれで、なぜ、起源のようなことを言いたいのだ?
ナルトとかのマンガの題材となり、中国人の関心のすべてである「金儲け」につながっているからか。
中国には、なんにも残っていないが---と。
ある意味、悔し紛れの「起源はおれんとこだ」という言い方だろう。
結局のところ、中国の☓千年の歴史がどうたら言ったところで、中国大陸にはモノとして、技術として、文化としてなんにも残っていないということなのだ。
北から剽悍な騎馬民族に何度も何度も襲撃され、町が破壊され、住民が逃げ惑う中で、上でふれたような技術・モノ・文化が雲散霧消してしまうということなのだろう。
それに加えるように、中国人って文化大革命というような「焚書坑儒」をやりたがる。
対して。
日本は1500年から2000年程度の歴史しかないが、異民族からの支配を受けたことがないので、モノとして、技術として、文化として残存している。
つまり、「文化の厚みの差」が日本と中国とを比較することで顕在化してきた—ということだ。
そしてその「文化の厚みの差」が、マンガとか映画とか文芸作品の数の「差」となっているということか。
中国人としては、☓千年の歴史はある筈だが、モノとして、文化として残っていないので、日本をみていると悔しい思いをするのだろうな。
それが、悔し紛れの「起源の主張」か。
冒頭でふれた。
服部半蔵の、果心居士の祖先が中国人であっても別に不思議ではない。
それを日本人は否定するつもりはない。
大切なことは、日本人が異民族の支配を受けたことがない—という僥倖だろう。
16世紀以降の大航海時代に、日本が異民族の支配を受けていれば、今、中国人が羨む「忍者」だって、多分、雲散霧消しているさ。