▲ちょいと古い記事なのだが、テーマが面白いので取り上げたい。
中国人が、毎年、ノーベル賞がとれる日本との「科学力の格差」の理由を取り上げているのだが、その指摘がどうかなぁと感じる。
本当にそんなところに核心があるのか?
なにか、勘違いしていないか?
以下、中国の新聞から抜粋。
東京工業大学栄誉教授の大隅良典氏が2016年のノーベル生理学・医学賞を受賞し、日本人のノーベル賞受賞者数は25人となった。
日本人受賞者は今世紀だけで17人目であり、中国では多くのノーベル賞受賞者を輩出する日本に対して羨望の声があがった。
中国メディアの今日頭条は、なぜ日本はノーベル賞受賞者を数多く輩出できるのに、中国は自然科学分野でノーベル賞をほとんど獲得できないのかと疑問を投げかける記事を掲載。
記事は、日本が2000年以降に輩出したノーベル賞受賞者の数は米国に次いで多いと伝え、「日本は世界中のエリートが移民してくる国ではないうえ、人口も米国の3分の1にとどまる」と指摘、その日本が数多くのノーベル賞受賞者を輩出していることに驚きを示した。
続けて、ノーベル賞の受賞者数を国別で見た場合、米国が圧倒的な1位であるうえ、受賞者は欧米の先進国に集中していることを指摘する一方、「日本は欧米以外の国としては唯一とも言えるほど多くの受賞者を輩出している国」であると指摘。
さらに、日本の科学技術が世界一流の水準に達し、ノーベル賞受賞者を数多く輩出できる理由は、「研究の基盤となる豊かな経済があること」、「優秀な人材がいて、その人材が国外に流出しないこと」などが挙げられると指摘。
一方で記事は、中国人のノーベル賞受賞者が文学賞を受賞した莫言氏、生理学・医学賞を受賞した屠ユウユウ氏など少数にとどまるのは、「子どもの想像力を奪う中国の教育方法や人材の選抜方法に問題があるため」と指摘。
毎年のようにノーベル賞受賞者を輩出する日本との差は「研究の基盤となる豊かな経済があること」、「優秀な人材がいて、その人材が国外に流出しないこと」といった点のほかに、教育制度の違いもあると伝えている。
▲補足、感想など
その程度しか、理由が思いつかないか。
中国人には。
まず、中国語が科学・技術に適しない欠陥言語だということだろう。
漢字だけの表記で、こまかいニュアンスが伝わるか?
<先の大戦が終わった頃、毛沢東主席が中国語に日本語のかなを導入しようと提案したという噂がある。ところが、日本留学組の共産党幹部達がこぞって反対したらしい。理由はさだかではない。中国語のあまりの改変に腰がひけたのかもしれない。また、悪く解釈すれば、日本語の優位性を知っている日本留学組が、中国人が賢くなる(それだけ、思想工作が難しくなる)ことを恐れたのでは--という見方もできる>
<先の大戦が終わった頃、毛沢東主席が中国語に日本語のかなを導入しようと提案したという噂がある。ところが、日本留学組の共産党幹部達がこぞって反対したらしい。理由はさだかではない。中国語のあまりの改変に腰がひけたのかもしれない。また、悪く解釈すれば、日本語の優位性を知っている日本留学組が、中国人が賢くなる(それだけ、思想工作が難しくなる)ことを恐れたのでは--という見方もできる>
中国人は、その中国語の不足分を英語で補っているのだろう。
だから。
大学院レベルの勉強のためには、中国語プラス英語 という二ヶ国語を使えるようにならなくてはならない。
日本人からしたら、英語をマスターするだけでも膨大な努力が必要となり、そこで気息奄々となる。
中国人だって同じだろう。
だから、よほど優秀でなければ、大学・大学院へ進むことができないのだろう。
また、中国人は地道に努力するということができないだろう。
どうしても、功利主義というか、お金儲けと直結しなければ、努力を継続することができまい。
ノーベル賞と功利主義は相容れない。
このあたり、掲示板の書き込みを転記しよう。
--ここから--
すでに何度も指摘されてるが「人生の価値観」が最大の要因だろうな。
日本のアニメを見て普通に分かることだが、至高の目的は「人類の幸福」。
「世のため人のためにこの研究をするのだ」という意識が無い限り、人類史に残る成果を出すのはマズ無理。
或いは、最初から、「コツコツ研究すること自体が好きだ」という場合だな。
「カネ」「名声」「地位」などを目指して(動機として)、非常に困難な研究に向かこと、つまり、自分ひとりの利益のために、ノーベル賞級の研究をするには、余りにもハードルが高い。
--ここまで--
世のため人のため—なんて、中国人には似合わない。
つまり、中国人は「ノーベル賞に適性」がないということだ。
中国人の資質として望んでも無駄ということか。