▲狂気か。
まるで、レミングのように「滅び」への道をひた走っているのだ。
もう、キチガイだといってもそう外れてはいまい。
1960年代からの、いや李氏朝鮮の頃からの「反日という名の狂気」が、いよいよ大団円を迎えようとしている。
大団円と言ってもその向こうになにかある訳ではない。
反日 → 反日 となにも変わりはしない。
韓国は、もう、日本が見捨て縁切りした国家だ。
関わらない、教えない、助けない—どうでもいい国だ。放置のままで。
以下、新聞から抜粋。
2年前、ソウルの日本大使館前で行われた抗議デモ。こんな暴挙が繰り返されるのか
韓国が、本当に狂いだした-。そうとしか言いようがない。
独立運動の記念日である「3・1節」に、日本大使館や釜山の日本総領事館前で大集会が開かれた。
外国公館近辺でのデモ行為を禁じたウィーン条約を、裁判所が無視して「集会許可」を与えたのだ。もう言うべきことはない。
その国民がいずれ、それ相応の報いを受けることは当然だ。
日本人から見れば、4年前の3・1節の記念演説で「被害者と加害者の関係は1000年経っても…」と述べた朴槿恵(パク・クネ)大統領は「反日の権化」だ。
ところが、韓国では今や、「屈辱的な慰安婦合意=それを結んだ朴政権=親日」となっている。
それと、政治力学の上で多分に増幅された「朴槿恵・崔順実=絶対悪」の思い込みが、ほぼ完璧に重複している。
大統領レースでトップを走る最大野党「共に民主党」の文在寅前代表は、その重複を自らのアジ演説で作り上げた。
換言すれば「愚民化戦術」に成功した人物ということだ。
憲法規定によれば、大統領弾劾は国会が発議し、その可否は憲法裁判所に委ねられる。
ところが、左翼陣営の大統領候補者たちは「憲裁の判定が否だったら認めない。革命だ」と絶叫している。
「憲裁の判定が“おらが考え”どおりでなかったら従わない。暴力に訴える」と言っているのだから、これはもう「法治主義」の精神などどこにもない。
これに並行して野党陣営は「大統領権限代行(首相)を弾劾にかける」と言い始めた。
「大統領権限代行が、特別検察官の任期延長を認めなかった」ことが、その理由だ。
特別検察官は「政府から独立した捜査機関」と位置付けられている。
だが、その任期を延長するかどうかの決定権は大統領-大統領弾劾が国会により発議された後は権限代行が持っている。
その権限代行が「延長を認めず」と決めたから「弾劾」とは、もう「“おらが考え”どおりにしなかったら弾劾だ」ということでしかない。
現状は「韓国型公憤=ロウソクデモの威力」の前に「法理なし」。
デモはあってもデモクラシーはどこにもない。
その一方には、実質所得も消費支出も前年比、そろって減少した経済実態がある。
今年1月のマンション販売額は前年比68%も減少した。不景気と言うよりは、もはや経済危機の到来だ。
しかし、大統領候補者らは、こうした経済危機には何も言わない。
そうした中でも、酒類の販売額は伸びている。酒でも飲まなければ…なのだろう。
新しい国技となったロウソクデモも、実は露店での焼酎販売とセットだ。
飲酒と嘘で将来展望をごまかす国民に報いが来るのは、そう遠くないだろう。
3・1節は、嘘の教育を重ねることで「全土が反日に蜂起した日」になっている。
きょう3月1日に「反日」がどのくらい盛り上がるのか-。
憲裁が弾劾の可否を明らかにしたときの、民衆行動を占う材料になるかもしれない。
▲補足、感想など
捏造した歴史の上で、「狂気」が繰り広げられている---ということか。
冒頭でふれた。
もう、オレもキチガイ、アンタもキチガイ、キチガイ同士でソレソレソレ—てな話ではある。
この衆愚政治の結末は、韓国人自身が背負うべきことであろう。
日本・日本人は、放置で、ただ、ただ静観していよう。