2021年7月15日木曜日

愛国心は見せびらかすものじゃない

 

ゴロツキ・食人鬼の中国人が、なんたら間抜けなことを言っている。まぁ、その記事をみようか。

2021/07/14() 中国人は一般的に愛国心が強いと言われる。愛国心から中国ブランドをあえて選ぶ消費者も多く、わざわざ小さな中国国旗を電動バイクに立てて走っている人もいるほどだ。また、デパートには万国旗の代わりに中国の国旗だけを繋げたものが飾られ、赤一色になっていることもある。最近の中国はより愛国的思想を強めているようにも感じられるが、日本では「愛国」が話題になることはほとんどない。中国メディアの快資訊は10日、「日本人はどうして愛国を語らないのか」と題する記事を掲載した。記事はまず、日本人がどれほど「愛国を語らない」かについて紹介している。一般人も知識層も「愛国」という言葉を使わず、「家族を愛する、故郷を愛する」という言い方しかしないと伝えた。米国も愛国を道徳教育の一環としており、愛国を教えないのは日本くらいだと珍しがっている。この理由には複数考えられるそうだ。まずは、「日本の知識層が愛国を語りたがらない」ことが一因と主張。戦争反対の立場だった知識層は、戦時中に非国民扱いを受けたうえ、多くの国民は「国に騙されて」悲惨な戦争へと突き進んだと主張し、それゆえ日本の知識層は国に対して積極的な態度が取れないのだろうと主張した。さらに、知識層だけでなく、戦争を体験した日本人は戦争に反対できなかったことを悔やみ、若い世代は日本の過ちを学び「恥ずかしい気持ちになっている」のではないかと主張。また、日々の生活に忙殺されて国の問題を考えるゆとりもない可能性があるとした。さらに戦後日本を占領した米国が、「日本人の熱狂的な愛国感情を消した」と分析し、こうした要因が相まったことで「日本人は愛国を語らなくなった」と分析している。

確かに、日本では「愛国」という言葉を聞くことは多くなく、さかんに「愛国」が叫ばれる中国とは大きく異なっていると言えるだろう。特に近年の中国は愛国教育に力を入れており、それだけに中国人からすれば「まったく愛国を語らない日本人」が不可解に感じられるのかもしれない。

補足、感想など

日本人は、愛国心を見せびらかさない。ゴロツキ人食い中国人じゃあるまいに。それだけのことだ日本人は、この日本列島という国土と運命を共にしようと思っている。もう、10年になるか、2011年の東日本大震災のとき、福島の原発事故が発生した。当時、日本に在住していた外国人達は、中国人を含めて多くがそれぞれの国に帰国した。じゃ、あのとき、日本人が外国へ脱出したか?日本人は、あのとき、日本列島という国土と運命を共にしよう—と覚悟したのだ。国家規模の苦難に対して、日本人は協力して対抗しようとしたのだ。あの時の様々なエピソードが残っている。それをいくつかみようか。

-ここから-

2011/03/12()

東京で帰宅難民で8時間歩いた感想 :ほとんどのコンビには営業していたが JRNEWDAYSが全部閉まってたのには納得いかん。もーぜってーかわねー  飲食店では、歩いている人々に無料でお茶を出しているみせがあった。感動した。松屋が食材不足の為、営業中止してるのが1店だけあった。甲州街道を歩いてたんだが、民家の人が 「トイレありますよ~」とか庭を開放して、お茶やお菓子を提供してた 最高に良い人だと思った。

2011/03/12()

普段から、「もし死に直面したとき、妻を見捨てて逃げるとか醜い行動をしてしまったらどうしよう。そんなのやだなあ・・・。」 とか思ってたけど、今回の地震で、初めて恐怖で足が震えるって体験をしたけど、 激震の真っ最中、すぐに「どうせ死ぬにしても最善を尽くそう」って覚悟が決まって 「死んじゃうのかな~!?」ってブルってテンパッった妻を抱き寄せて 「大丈夫、まかせろ」って上からの落下物に注視してた自分が出てきて、 良かった。

2011/03/12()

復興意識に関してはDNAにさえ刻まれてる気がする。敗戦翌日にもう仕事をしてる日本人を見て驚いてる外国人の話があったけど、 それこそ太古から震災、諦め、復興を繰り返してきてるわけだから。天罰と受け止めちゃう外国人だとキツイだろうとも思うし

2011/03/12()

戦後の焼け野原からの復興 度重なる自然災害からの復興:倒れてから立ち上がり一回り成長する理由は 日本人のこういう資質にあるのかもね。略奪、暴動で得られるものよりよ、堪え難きを耐えて得られるものを良くしっている。昨夜、都内で過ごした人達の望みは 「平穏な時を過ごしたい」 だけなわけで、馬鹿な行動に出るなんて発想は微塵もないだろうよ。 朝、中央線の下りで疲れ果てているひとを見てそう思ったよ。

2011/03/12()

一回の青信号で1台しか前に進めないなんてザラだったけど、 誰もが譲り合い穏やかに運転している姿に感動した。複雑な交差点で交通が5分以上完全マヒするシーンもあったけど、 10時間の間お礼以外のクラクションの音を耳にしなかった。恐怖と同時に心温まる時間で、日本がますます好きになった。

国によっては略奪を恐れてコンビニやスーパーが 一斉に閉まるところだが、日本では皆が整然と徒歩で帰宅し、コンビニはサービスステーションとして帰宅者の支援をしている。 ということを日本にいる海外メディアが発信している。素晴らしい国だ。

@craftman: BBCのロンドン大学の教授の解説・・・涙出てくるよ。ほんと。要訳するとこの規模でこの被害規模というのは日本以外では考えられない。地学的、歴史的に経験がある事を差し引いても 日本人の特異性、規律性、自律性、協調性を私達こそ学ばなければならない。

2011/03/12()

昨日、会社から家までの20kmを歩いて帰ったんだが、途中のロイヤルホストで休憩がてら飯を食った。案の定、俺らのほかにも帰宅難民が押し寄せてて、ウェイティングが45組並んでるような状況だったが、ホールの女の子(アルバイト?)は一生懸命応対してた。精算時に「今日はお待たせしてホントに申し訳ありませんでした」なんて事を言われたもんだから、「ごちそうさま。助かったよ。頑張って下さい」と返した。上板橋辺りのロイホだったかな。さらに歩いて新座辺りのドンキホーテの前を通り掛かると、その時もう夜中の1時ぐらいだったと思うが、店長らしきオッサンやスタッフがコーヒーとカイロを配ってた。もちろんタダで。 夜の寒さと脚の痛みでヘロヘロになってた頃だったから、ほんとに有難かった。語彙が少ないので上手く言えないけど、こういう時の日本(人)は凄い。こんなスレで何だけど、誰かに言いたかった。長文失礼。

2011/03/12()

昨日の夜20キロほど歩いて帰ったけど、沿線の会社、お店、一般の人家が連絡を取り合ったわけでもないのに。休憩場所の 開放、トイレ貸し出し、お茶のサービス、電車状況を教えて くれたりしたのには涙が出た。落ち着いたらお礼にいきたいと思う。

2011/03/13()

帰れずにマックで夜を越したんだけど、近所に済んでる人が携帯充電器集めて持ってきてくれたり、 帰る目処がついた人には皆がおめでとう!って声かけてたりしてた。今落ち着いて一昨日のこと考えると泣けてくる。

2011/03/13()

CNNのコメントだけど、 この状況でコンビニが物資を供給してるのが信じられないって言ってた。アメリカだったら略奪を恐れて絶対にシャッターを降ろすはずだとさ。

2011/03/13()

「震災後も整然」と日本に驚き=中国紙、現地ルポを掲載 - 時事通信(2011/03/13-18:00

【上海時事】中国各紙は13日、東日本大震災で大きな被害を受けながらも、 日本人が整然と行動し、街の秩序が保たれている様子を驚きをもって伝えた。上海紙・東方早報は、仙台市に入った記者が 「わずかに営業しているスーパーの前に住民が整然と行列をつくり、便乗値上げもない」 「停電で道路の信号が消えても、車は譲り合って走行している」 などと伝える現地ルポを掲載した。中国最大の夕刊紙・揚子晩報は 「東京では多くの市民が駅に足止めされたが、階段で両端に座り、人が通る道を空けた」 と、写真付きでマナーの良さを紹介した。一方、有力経済紙・第一財経日報は休刊日にもかかわらず大震災の特集号を発行。「未曽有の自然災害に直面した日本人の冷静さがわれわれに深い印象を与えた」 とし、背景には日ごろの地震への備えやテレビなどによる迅速な情報提供があったと分析。工場の操業停止を相次いで発表した日本企業の情報公開姿勢も評価した。

2011/03/13()

ロシアの独立系紙ノーバヤ・ガゼータ(電子版)は13日までに、東日本大震災の 甚大な被害にもかかわらず日本人が社会的秩序を失わず、互いに助け合う姿を 「日本には最も困難な試練に立ち向かうことを可能にする『人間の連帯』が今も 存在している」と称賛するゴロブニン・タス通信東京支局長の記事を掲載した。 ゴロブニン支局長は、震災を「第2次大戦直後の困難にも匹敵する」大災害だと しつつ、「重要なのは、ほかの国ならこうした状況下で簡単に起こり得る混乱や暴力、 略奪などの報道がいまだに一件もないことだ」と指摘。 震災当日の11日、公共交通が止まってサラリーマンが帰宅の足を奪われた東京でも 「人々は互いに助け合っていた。レストランや商店はペットボトル入りの飲料水を無料で 提供し、トイレを開放した」と驚きをもって伝えた。

2011/03/15()

中国のむかし、魏王が斉王に誇って 「私の国には直径一寸の宝玉が十枚ある。これが国の宝だ」と言った。すると、それに答えて斉王が言った。「私の国には、そんな宝玉はない。だが、自分の一隅をしっかり守り、 千里を照らす人材がいる。これこそ国の宝だ」。日本人の一人ひとりが国宝である オレは日本人であることを、今ほど誇らしく思ったことはない。

2011/03/15()

つうか台風、地震、津波、そういう天災が定期的に襲う。自然環境風土の中で秩序を保ち、お互い助け合う性質の強い人間が 生き残る確立が高かった。その何万年の積み重ねの遺伝子結果、当然だ。

★一昨日、東京で交通機関がストップし、何百万人もの帰宅難民が発生しました。わたくしもその一人として徒歩で帰宅したわけですが、そのときの経験を少し。

◆長時間歩き続けるため、汗が出て、冷えてきます。特に、冷たい風が強かったので、可能な限り肌を露出しない工夫が必要でした。(わたくしはマフラーを顔に巻きつけていました)

◆都会のコンビニは素晴らしいインフラです。食糧の調達や、トイレは早めに済ませた方がいいです。後で、空腹を感じたりトイレに行きたくなったときに限って、コンビニがなかなか見つかりません。

◆できれば、帰宅までの地図を持ち歩いたほうが良いです。わたくしは相当に東京の道路に詳しい方ですが、それでも一度だけ道を間違えかけました。何しろ何十キロも歩きますので、道を間違えると気力が尽きかねません。道がわからないときは、遠慮せずに回りを歩いている人に聞いてしまいましょう。

◆携帯電話は、まずつながりません。メールも送受信が遅れます(何時間も)。ところが、ツイッターは大丈夫でした。ご家族と、いざというときにツイッターなどのインターネットツールで連絡を取り合うことを決めておいた方がいいかも知れません。

2011/03/14()

11日午後235分ごろ発生した東日本大震災は、マグニチュード90で、日本最大、世界史上でも4位の地震規模となった。東京都では11日に強い揺れがあり、千代田区の九段会館では天井が崩れ落ち、死傷者が出た。また東京周辺の交通機関は地震発生後から、終日運行を見合わせたため、徒歩で帰宅したり、また帰宅難民となり駅舎や勤務先で夜を過ごした人もいた。仏ルモンド紙(電子版)は、東京で地震を体験したフランス人の談話を掲載し、今回の地震の様子を伝えている。フランスでは一部の地方を除いて、揺れを感じるほどの地震は少ないため、地震を経験したことのないフランス人も多い。東京の大学の研究所にいたというフランス人男性は、それまでにも東京で地震による揺れを体験したことがあった。そのため、最初の揺れが起こった時には落ち着いていた。揺れが長く続き、物品が落下したが、その時は友人と笑いながら、落下したものを拾うという気持ちの余裕もあった。しかし、揺れが断続的に続いたため、これが恐怖に変わった。窓の外を見ると、ほかの建物からは避難のために逃げ出す人たちが見えたため、男性たちも様子を見ながら外に避難した。揺れがある程度収まってから建物の中に戻ったが、その後2時間ほどの間、断続的な揺れが起こっており、緊迫した雰囲気が続いていたと述べている。また、東京の中心地で勤務していたフランス人の会社員男性も、地震そのものには驚かなかった。しかし、今回の地震は縦に揺れている感じがしたため、すぐに普段体験してきた地震よりも危険だと感じた。そして避難をしたが、日本人が冷静に避難している様子が印象的だったとつづっている。男性の勤務先があるビルにいた人たちは、定期的に実施されている避難訓練と同様に、落ち着いて避難していた。携帯電話は不通、断水、電車は運行を停止、幹線道路も大渋滞で動けず、どこかが火事になっており、パニックになってもおかしくない状況で、日本人は落ち着いて、地震の揺れがおさまるのを冷静に待っていたと記している。ほかにも、今回の地震が発生した時に、222日に発生したニュージーランド地震が頭をよぎり、大変な恐怖を感じたというフランス人男性もいる。地震の間、震えが止まらなかったと語る。東北地方に多大な被害が出たことを知り、現地のことを思い、当日の夜はよく眠れなかったと述べている。

-ここまで-

愛国心というなら、上掲のようなことだろう。食人鬼・中国人のいう「愛国心」なんぞ、単なる「中身のないみせびらかし」であろう。