▲日本・日本人は、捏造慰安婦なんぞに謝罪も賠償もしない。
捏造慰安婦なんぞ、しったことではない。
あれ、すべて言いきったしまったなぁ。
これは日本人と韓国人の間での声闘だ。
不満があるなら、100万回でも言えよ。
カネクレ カネクレ もっとくれ カネクレ カネクレ もっとくれ カネクレ カネクレ もっとくれ
えい、こうなりゃ日本に遠征して、日本にいるevenki族工作員と共謀して、日本の国会議事堂の玄関に糞尿をばらまいてやれ。
日本の国会に乱入して、刺し身包丁を振り回せ。そこら中のドアにツルハシを打ち込め。
日本にいる朝鮮ヤクザを集団で、国会に乗り込ませろ。
日本にいる反対派の議員を闇討ちしろ。
安倍さんを狙って切りつけろ。
日本人は、韓国人のヤクザな行為・罵詈雑言などに、絶対にへこたれはしないよ。
倍にして、悪口雑言を言い返しつづけてやるさ。
日本にいるevenki族工作員達を勝手にはさせないよ。
以下、韓国の新聞から抜粋。
今月3日、衆議院予算委員会。小川淳也議員(民進党)が質問に立ち、NHK中継を見ていた私は、レコーダーを取り出した。
「慰安婦問題に関する日韓合意以降、韓国政府から安倍首相からのお詫びの手紙を求めている、どう考えるのか」
安倍日本首相の答えは3つの文で成立。
第一文、「合意した内容を両国が誠実に実行していくことが求められている」。
第2文、「指摘したのは、内容の外である」。
この発言で、安倍首相が「期待する」と明らかにした「お詫びの手紙」などに応じる意思がない。
問題は、最後の文。「私たちは○○考えていない」。
日本で経験を積んで、文章の副詞が意味するのか、見当もつかない。
在日同胞の知人と日本の記者にファイルを送信して鑑定を求めた。
彼らの返信に書かれていた副詞は「毛頭」という言葉だった。
慰安婦被害ハルモニたちに伝える「お詫びの手紙」を要求する韓国の要請に対し、受け入れる考えが「微塵もない」と答えた。
怒りと無力感に襲われた。
昨年の12・28合意以降、韓日の市民社会ではこの合意をどのように受け止めるかを巡り二つの立場が対立してきた。
一つは、合意を無効にし、原点に戻って再交渉を行わなければならないという「白紙撤回論」であり、もう一つは、首相のお詫びの手紙などの補完的な手段を通じて合意の足りない部分を埋めようという「補完論」であった。
白紙撤回論は韓国をめぐる厳しい外交の現実からして、選択肢になり得ないし、補完論は安倍首相の今回の「毛頭」発言で破綻を迎えたことが明らかになった。
これからどうすべきか。第3の道を提案してみる。名付けて「合意固辞論」である。
韓国政府は、日本側に傾いた12・28合意という不利な戦場から組織的に退却すべきだ。
この合意を何とか正当化しようとする痛ましい努力はやめてほしい。
まず、「和解・癒やし財団」は日本政府から受け取った10億円の執行を停止し、状況を静観しなければならない。
さらに、日本政府の関心事である少女像の問題について、もう少し原則的な立場を明らかにする必要がある。
韓国は過去の合意で「少女像について関連団体との協議などを通じて、適切に解決されるよう努力する」としただけで、移転そのものを約束したことはない。安倍首相の言葉をそのまま返すと、少女像の移転は「内容の外」である。
政府は合意で「国際社会において、この問題について互いに批判・非難することは控える」と約束した。この約束は、韓国挺身隊問題対策協議会(挺対協)などの民間団体が女性の普遍的な人権懸案である慰安婦問題を解決しようとする国際的な努力まで拘束するものではない。
政府は、民間団体の活動を今よりも積極的に支援する必要がある。慰安婦問題という歴史的な痛みを経験した韓国社会が、最終的に到達すべき目標が12・28合意でないなら、徐々に、しかし明確な方向性を持って、合意と決別していかなければならない。
▲補足、感想など
どうも、昨年末の日韓合意の核心部分を理解していないようだな。
あの合意は、日-米-韓の間で、「もう、戦後レジームという日本人弱体化工作」をやめるという三国間での合意だ。
捏造慰安婦騒動も、この戦後レジームの中でなされた、日本にいるevenki族工作員と韓国政府の間で共謀された悪辣な陰謀であった。
そして、合意の内容は上の通りだ。
要するに、韓国がどう騒ごうと、なんと言おうと、「日本は謝罪も賠償も、もうなにもしない」と日米韓の間で合意したということだ。
その細かい内容を、韓国政府は国民に向かって説明することができまい。
だから。
韓国人は、韓国の新聞はなんとでも言え。
日本人をどうとでも罵れ。悪口雑言を言え。
日本人は、罵り返すし、韓国人を罵倒しまくる。
日本人は、絶対に謝罪も賠償もしない。
そして、そのことについて、韓国政府もアメリカ政府もなにも言わない—ということだ。
戦後レジームは、もう完全に崩壊したのだ。
韓国は、日本が見捨て縁切りした国家だ。
関わらない、助けない、教えない—どうでもいい国家だ。
さらば、韓国。
さらば、日本にいるevenki族工作員達。
戦後レジームは楽しかったよ。
そういえば、もうすぐ、明治維新150年となる。
日本の「次なる150年」という新レジームを高らかに唱えるタイミングがきたようだ。
その記事をご紹介。
--ここから--
2018年に明治維新から150年を迎えるのに合わせ、政府は7日、
記念事業を実施すると発表。
日本の近代化の歩みを次世代に
伝えるため、政府主催の式典などを検討する。
一方、自民党内の
安倍晋三首相に近い議員からは、「明治の日」の制定を目指す
動きが出始めた。
菅義偉官房長官が7日の記者会見で「明治150年は、我が国に
とって一つの大きな節目。
明治の精神に学ぶ、日本の強みを
再認識することは極めて重要だ」と発表した。
内閣官房の推進室や
府省横断の連絡会議を立ち上げ、具体的な事業を計画する。
明治維新から100年の1968年10月には、政府は日本武道館で
記念式典を開いた。
昭和天皇、皇后や当時の佐藤栄作首相をはじめ約9千人が出席。
100周年の記念歌を合唱し、佐藤首相が万歳を
三唱した。
首相官邸の幹部は「(今回も)式典をやる必要がある」と、
18年10月にも式典を開く考えだ。
--ここまで--
明治維新100年では、日本は、欧米列強に「肩を並べる」という状況ではなかった。
なんせ、1ドル=360円の時代だったのだ。
あれから、50年が経過した。
明治維新を成し遂げた大久保利通、伊藤博文の元勲達が、望んだ「欧米列強と肩を並べる」ということが成し遂げられたことを、元勲達へ「報告」したいものだ。
また、17世紀初頭の鎖国前から約400年を経て、日本は世界の最前線に復帰した。
もう、100年先行された産業革命組の諸国の「背中さえ見えない」状況だ。
手本も目標すらも見えない、そんな薄闇の世界を日本人は、「己の才覚と目」だけを信じて、切り開いていくしかない。
明治維新150年というタイミングに、改めて「その覚悟」を確かめたいものだ。