▲要するに、日本人とどこに違いがあるのだ? というのが、中国人の問いたいところだろう。
そんなもの、明々白々ではないか。
「愚直さ」「知的正直」への畏敬の念--そんなものの「差」だ。
愚直であることも、知的正直であることも、中国人はバカにしているではないか。
騙(だま)された奴がアホなんだ、ともあれ金を先に掴んだやつがエライんだ—がモットーではないか。
そんな民族がノーベル賞など関係もあるまい。
自分の姿を、自分の不得手を直視しろよ。
以下、新聞から抜粋。
数年、日本の科学者によるノーベル賞受賞が続き、中国の社会にショックを与えている。
われわれには何が足りないのか、という議論が繰り返される。
一番重要なのは「功利を急がないこと」だ。
中国メディアは「日本に比べ、中国の科学はどこが劣っているのか」と記事を掲載。
記事は、日本の科学技術が長足の進歩を遂げ、ノーベル賞受賞者を次々と生んでいる。
同賞受賞者の輩出は、日本経済の発展にも推進作用を持っている。
日本が科学教育立国を実現し、ノーベル賞受賞者を生むことに成功した背景につき5つの観点から解説。
まず、国の政策決定を行う上で科学者が検討に参加している。
また、基礎科学に対する長期的かつ安定した支援、外国の研究者を呼び寄せて交流を図る姿勢、日本人のまじめで辛抱強い性格といった点も関係していると論じた。
日本の科学技術界には信用や信頼を大切にする文化があると指摘。
高い信用の上で成り立っている日本社会は科学研究を行ううえでメリットを持つと解説。
日本は「廉恥感」が重んじられる社会であり、インチキをすれば科学者としての人生が葬り去られると説明。
中国人の社会では信用や信頼が不足し、大量の偽装、剽窃、誇張、課題の略奪といった事が絶えず発生すると指摘。
科学界では功利を急ぐ雰囲気が深刻で、各種不正を含めて手段を選ばない風潮にあると断じた。このような状況が学術交流や協力を妨げていると。
科学研究の目的は、個人の金儲けではない。科学研究に手抜きやハッタリ、ウソは許されないのだ。手柄を立てたい、名声を高めたいという欲求が強すぎる人には不向きの世界である。
▲補足、感想など
記事の内容は、冒頭で筆者がふれたことをなぞっているような文章であろう。
そりゃ、日本でもウソ、ハッタリもある。
でも、基本、正直であることが一番楽に生きれる—ということを知っているのだ。日本人は。
習近平国家主席、王毅外相、報道官などの態度を見れば、冒頭でふれた「愚直がどうたら、知的正直がどうたら」なんて、なんの縁もあるまいと思える。
少なくとも、王毅外相とか報道官の「しゃべり方」が少しでも変化しない限り、ノーベル賞がどうたらなんて、口にださないことだ。
隗(かい)より始めよ—てな諺があるが、ちょいと意味はことなるが、「王毅外相、報道官より始めよ」じゃないのか。