2016年10月28日金曜日

大川小学校津波訴訟。説明する必要はない

小学校の先生方は、スーパーマンではない。
 通常の、常識しかもちえていない人達なのだ。

 地震が発生して、数十分で津波が押し寄せてくる。
 その切迫した時間の中で、誰もが正確な判断ができる訳はない。

 なぜなのだろう?
 これだけ、個人攻撃をしたい—と考えるのは。
 a先生が、b先生が判断ミスをしたから---と言いたいのか。

 なんどでもいいたい。
 小学校の先生方は、スーパーマンではない。普通の人達なのだ。
 通常の能力しかもっていない人達なのだ。

 裁判では避難場所がどうたら—とのべているが、これから避難しようとする先生方には、そこがベストの避難場所だと判断したのだ。
 これが判断ミスと言えるのか。
 与えられた情報、与えられた状況の中で、「ベスト」だと判断したのだ。

 結果としては、津波が届く範囲内であり、多くの生徒、多くの教師達が亡くなった。
 それは結果論にすぎない。

 それを、あの避難場所を選んだa先生が、b先生が悪い---などと言えるのか。
 こういう死者を鞭打つような所業をしてはならない。
 だから。
 このあたり、説明する必要はないし、また、a先生がどうした,b先生がどうした—など、絶対に外に漏れないようにすべきだ。

 以下、新聞より抜粋。

 東日本大震災の津波で児童74人が犠牲になった宮城県石巻市立大川小学校の過失を争った訴訟は、児童23人の遺族が勝訴。
 しかし、原告団からは「真相が明らかになっていない」「遺族に寄り添っていない」と声が噴出。

 仙台地裁が下した判決は被告側の市や県に対する計約14億2600万円の支払い命令。
 原告側の求めは計約23億円だった。判決は市の広報車が「津波が松林を越えた」と高台への避難を呼びかけたことから、津波が大川小に到達する約7分前には襲来を予見できたと判断。
 小走りで1分ほどの距離にある裏山へ逃げれば被災を免れることは可能だったと指摘。

 ただ、遺族側が強く求めた地震発生から津波が襲うまでの「51分間」の詳細は明らかにされなかった。

■資料廃棄で説明ウヤムヤ

 石巻市による調査などで明らかにされた当時の状況はこうだ。
 地震発生後、児童78人は1次避難場所だった校庭に待機。裏山への避難を望む児童や教職員の声があったが、学校側の指導で海岸に近い川沿いの通称・三角地帯へ移動。

 その直後に児童74人が波にのみ込まれたのである。
 しかも、調査は録音もされず、資料は廃棄処分されていた。

 大川小訴訟を取材するジャーナリストは言う。
 「原告勝訴とされていますが、判決後の原告団による会見は暗い雰囲気が漂っていました。誰が三角地帯への避難を決断したのか、なぜ資料を廃棄したのか。どうして関係者は誰ひとり責任を負わないのか。

 真相はヤブの中だからです。遺族の中には〈なぜ勝ったのか分からない〉と口にする方もいました。被告側が守りたい部分は守られ、遺族側にも配慮した着地点を探り当てたという印象です」

補足、感想など

 冒頭でふれた。
 どうして、原告の人達は、個人攻撃がしたいのか?
 そこが分からない。

 東北での諺、津波てんでんこ とは、地震が発生したらてんでばらばらに逃げろという意味だ。
 そして、助からなかったものも助かったものへ恨み言を言わない---といういわば、このあたりの約束事だ。

 こういう未曾有の大災害で助かったという人は、本当に運のいい人達なのだ。
 大川小学校の先生方は、決して、スーパーマンではない。
 普通の能力者なのだ。
 その普通の能力者の精一杯の判断を「判断ミス」と軽々に言って良いのか。

 a先生が、b先生が間違った判断をしたのだ---などという個人の名前がでてくるようなものに対して、絶対に反対する。