▲このブログでふれた。
韓国人は、ノーベル賞というものに「民族として適性がない」。
適性のないところに、いくらお金をかけても無理。
民族毎に得手不得手があるのだ。
得手のところに帆をかけて、磨けばいいのではないのか。
以下、新聞から抜粋。
今年のノーベル医学・生理学賞が東京工業大の大隅良典栄誉教授に授与され、韓国では主要紙が社説で取り上げた。
韓国メディアが注目しているのは、今回の受賞だけではない。
日本は米国籍の2人を含め25人が受賞▽科学分野での受賞者が22人▽3年連続の科学分野受賞▽2000年代に入り17人が受賞-といったところだ。
韓国人の受賞は金元大統領の平和賞だけで、自然科学分野での受賞はない。
ために、各紙の社説は「日本の科学技術の底力を前に、韓国の現実はみすぼらしい」(東亜日報)「日本の受賞歴がまぶしい」(ハンギョレ紙)「韓国はノーベル賞シーズンになると萎縮する。受賞どころか候補リストにも挙がっていない。いつまで隣の祭りを羨ましがっているだけ」(中央日報)と自虐的。
各社説は、韓国の研究開発費が国内総生産(GDP)の4・15%を占め世界のトップ水準である点を指摘。にもかかわらず、自然科学分野で受賞がないことを問題視。
「韓国科学界の風土に問題がある。短期的な成果を重視し、政府の支援金は2~3年内に目に見える成果が期待できる分野を選び分散投資。成果を立証する研究だけが量産されている」(朝鮮日報)。「日本のように長期間の集中投資をし、研究者が自らテーマを決めるようにする風土が必要だ」(中央日報)と目先の利益にとらわれる自国の風潮を戒めている。
韓国メディアの報道には、日本がまた受賞したことで称賛の一方、羨みや焦燥感、自虐感が込められている。韓国紙自身が認めるように、こうした報道は“年中行事化”している。
▲補足、感想など
これは、お金の問題ではない。
研究者の資質の問題なのだ。
じゃ、お聞きしたい。
韓国人研究者は、数万回、数十万回の「繰り返し」に耐えることができるか。
数万回の繰り返しに耐えても、結果としてなにも見つからない場合も多い。
その無駄になるかもしれない単純さに耐える精神をもっているのか。
1990年代だったかなぁ。
高温超伝導物質の発見というものに、世界中の研究者が熱に浮かされたことがある。
時々、マイナス何度で「超伝導」の現象が現れた—とかニュースになるのだが、できた物質が不安定で、すぐに現象が消えるらしい。
10年間ぐらい、熱に浮かされたかな。
結局、たいした高温の超伝導物質を見つけることができずじまいで研究もしりすぼみとなった。
その時は、世界中の研究者が、数万回、数十万回もの「新物質」を作るという作業を繰り返していたのだ。
で。まともなものは見つからなかった。
韓国の研究者には、こういう「先の見えない数万回もの繰り返し」に耐えるだけの研究者が存在していないだろう。
だから。
これは研究者の資質なのだ。
お金をいくらかけても、韓国人が科学系のノーベル賞を受賞することは無理だ。
冒頭でふれたごとく、こういう方面には「適性」がないのだ。
ノーベル賞がどうたら考えるより、民族として得手の部分に着目した方が余程、賢明な対応であろう。