▲ルールを守らない組織に、日本人の税金を使うことはできない。
当然であろう。
差別たら、どうたらなんて、なんの関係もない。
補助金が欲しくば、北朝鮮の金委員長に対して、お金オクレと嘆願書を送ればいいことではないか。
それが、一番真っ当な対応の仕方だ。
以下、新聞から抜粋。
朝鮮学校の茨城朝鮮初中高級学校(水戸市、児童生徒五十六人)で、日本の学校の小学生から高校生に当たる十一学級の授業が公開。
県を含め全国の自治体で朝鮮学校への補助金を見送る動きが広がっているのを受け、地域社会で学校の理解を深めてもらおうと始まった。
今年で二回目。近所の住民や県内の大学生らも見学に訪れた。
中級部一年の「日本語」は、竹取物語の朗読だった。
金希玲さん(13)は「見学の人たちがいて緊張しました」と笑顔で話した。
高級部の三年生はこの日、母国・北朝鮮への修学旅行中だった。
県は二〇一六年度、補助金約百六十万円の交付を見送り、一七年度は計上しなかった。
尹太吉校長は「補助金の停止が、差別の風潮につながることも心配。政治と教育は分けて考えてほしい」と訴える。
北朝鮮情勢について「子どもたちが平和に学校に通い、学べる環境が一番大切だ」と話した。
▲補足、感想など
朝鮮学校は、名称こそ学校となっているが、法的な学校ではない。
個人のやっているそこらの私塾に過ぎない。
私塾に日本人の税金は使えない—という実に単純な理屈だ。
補助金が欲しくば、法的に学校になればいいことだ。
差別たら、なんたら何の関係もない。
理不尽な横車を押す姿勢を、「差別」たらなんたらと誤魔化すな。
もう、差別されたの、どうされたのと「被害者ビジネス」「たかりビジネス」は絶対に日本人には通用しない。
真っ当な理屈でしか、日本人を説得することはできない。