2017年10月29日日曜日

匠とパクリでどっちが勝つかと人食い中国人

中国人って、なにか根本的に勘違いをしているなぁ。
 「パクリ」って、つまり、二番煎じということだ。
 モノマネと言うことだ。

 表題の真の意味は、「最先端」と「二番手」のどっちが勝つか—という意味だ。
 その核心部分の意味が分かった上での問いなのか?

 以下、中国の新聞から抜粋。

 20171026日、中国の動画サイトに、日本の「匠の精神」と中国の「パクリの精神(廉価な模造品)」ではどちらが世界の発展の方向性であるかという問について論じた動画が掲載。
 動画は、匠の精神で知られる日本で、企業の不正や製品の欠陥が相次いで伝えられていることに驚く中国人が少なくないとし、「日本人が非常に深い匠の精神を持っているということは決して否定しない。物事に集中して取り組む精神は素晴らしいものだと思う。しかし問題は、匠の精神が商工業において成功し得るかということだ」と指摘。

 そのうえで「日本は『匠の精神』、中国は『パクリの精神』と言われるが、現在、『パクリの精神』が『匠の精神』の市場を侵食し続けている。
 それは、『匠の精神』が単に工房における精神に過ぎないのに対し、『パクリの精神』は大規模工業の精神だからだ。

 『匠の精神』は作る人が中心であり、まるで芸術品のような美しい製品を目指す。
 値段や生産時間は二の次で、ユーザーに完璧な品を提供するのがモットーだ。
 かたや『パクリの精神』は消費者が中心にある。
 基本的なニーズを満たすという前提のもと、最短の時間、最安のコストで製品を作る。

 日本の製品は中国製より美しく丈夫な反面、値段が10倍もする。
 それは、『低価格で最低限のニーズが満たされれば良い』という消費者の考え方から乖離するものだ」と論じた。
 動画はさらに「模造品はいつまでも模造品ではない。量的な変化は質の変化をもたらす。十分な数を生産できるようになれば、品質は自ずと高まっていく。

 一方、大量生産による鍛錬のチャンスがない日本は、より良い製品が作れなくなっている。
 『匠の精神』は作る人間の自己満足であり、『パクリの精神』は工業精神へと進むプロセスの1つなのだ。『匠の精神』が果たして『パクリの精神』に勝てるのか、よく考えてみよう」としている。

 これに対して、中国のネットユーザーからは、「匠の精神は10分でできることに1時間かける。
 効率が悪すぎる」と賛同する声がある一方、「よくわからんが、日本製は使いやすい。それだけ」という声や、「パクリまで『精神』になるとは」とあきれる声も。

 また、「模造品の工業化で恐ろしいのは、とんでもなく劣悪な商品が市場に出回ることだ。
 劣悪な工業化は資源の無駄遣い。『匠の精神のあるパクリの精神』でなければ」という意見や、「他人の物をまねるのはつまり盗作。他人が多大な研究費を投じて開発したものをパクってはいけない。中国は少なくとも自分たちでイノベーションしなければいけない」と、そもそも他者のまねをすること自体に問題があるという意見も寄せられている。

補足、感想など

 上の記事は論理が混乱しているなぁ。
 どのあたりから。
 今の日本と中国との関係は、1970年代の日本とアメリカの関係に似ている。
 昭和40年代、日本のテレビメーカーは、1ドル=360円という今から考えれば、異様な円安状態にあった。
 この円安状態を利用して、パナソニックとかサンヨーとかが、アメリカにテレビを売りまくった。
 結果として、アメリカのテレビメーカーは、壊滅した。

 円安もさることながら、日本のメーカーもパクリ状態にあったので、開発費等のコスト分、安くできたのだろうなぁ。
 しかし、以後、日本はこの分野では最先端を走ることとなり、今度は開発費の負担に耐えなければならなくなった。

 今の中国は、1970年代の日本と同じで、「世界の最先端」に立っていないということなのだ。
 誰かが作ったものとを真似して」安物を作っているだけだ。
 開発費とか、始めてつくるための試行錯誤分が省けているのだ。

 中国人も、やがて、世界の最先端に立つことになる。
 そうなれば、もう、手本も見本もないし目標すらも定かではなくなる。
 すると、試行錯誤というか、開発費をまるごと、かぶらなくてはならないのだ。

 上の記事では、そのあたりの認識が欠如している。
 どうやら、中国人は、最先端に立つ自信がないのだろうな。
 日本の新幹線をパクっても、中国人自身で、「日本の新幹線」にプラスアルファをすることができない。
 単に、スピードをムリヤリ上げているだけだ。

 戦闘機などもパクってもそうだ。中国人自身で、その「元ネタ」に中国人自身のオリジナルなプラスアルファができない。
 どこか、頭が固いというか、柔軟な思考ができない民族なのだろうな。

 これから先も、ずっと「二番手」を続けるつもりなのか。パクリし続けるつもりなのか。
 なにか、中国の教育制度に問題があるのではないのか。