2018年2月5日月曜日

トウ小平さんがアホな中国人を使って鎮圧。天安門事件の死者は1万人

この1万人なんて数字、トウ小平さんにとってどうってこともなかったのだろうな。
 トウ小平さんは、あの数千万人(一説では4千万とも9千万人ともいう)の死者のでた文化大革命をくぐり抜けた人だ。(文革当時、普通の家の庭に、生首がゴロゴロしていたという)

 トウ小平さんの考えたことは、ただ、一つ。
 1980年代では、中国には民主化は早いということだ。
 識字率20%とか30%程度の民族に民主化かどうたらなんて、もの知らずで馬鹿馬鹿しいと考えていたのだ。
 だって、選挙するにも文字すら書けない人が大部分なのだぞ。
 中国の歴代の王朝が採用しつづけた愚民化政策による「毒の回った中国人」を直視することのできた数少ない指導者であったとも言えるなぁ。
 ここで下手に民主化という動きが盛んになると、文化大革命の二の舞いだと考えたのだろうな。(当時、中国には鎮圧のための放水機すら持っていなかった--とか弁明のようは話を聞いたな)

 改めて、数千万人の死者を出すより、目の前で1万人殺す方がベターだと判断した。
 「歴史的な愚民化政策の毒の回った中国人」というものをよく知っているトウ小平さんにとっては、自明のことだったのだろう。
 おそらく、これがトウ小平さんの「決断」であろうし、また、天安門事件というものの「真相」ではあるまいか。

 もう、数十年もすれば、民主化するというタイミングがくるかもしれない。
 そのことは未来の人間に託そうとしたのだろう。
 トウ小平さんは、毛沢東さんのような無学?な人ではない。フランスで苦学したエリートなのだ。

 以下、新聞から抜粋。

 アラン卿の打電内容について、英紙インディペンデントなどはこう記しています。
 <天安門広場の周辺に集結した大勢の人々に“残虐行為”を行ったのは、(中国北部の)山西省の人民解放軍の陸軍「第27集団軍」で、彼らの60%は読み書きができず、primitive(原始的な人々、幼稚な人々)と呼ばれていた>

<(当時の中国の最高実力者である)●(=登におおざと)小平(とう・しょうへい)率いる共産主義政府が“最も信頼でき、従順である”との理由で「第27集団軍」を選んだとみられる>

<「第27集団軍」の装甲兵員輸送車(APC)は群衆を銃撃した後、彼ら(の遺体の)上を走っていった。APCは時速64キロの速度で軍隊や一般市民を轢いていった>

<(集結した)学生たちは、天安門広場から退去するまでの時間として、1時間の猶予を与えられたと考えていた。しかし5分後、APCが攻撃を開始した>

■生き残った1000人にも、機関銃で…

<学生たちは腕を組んで対抗しようとしたが、(APCに)ひき殺された。そしてAPCは何度も何度も彼らの遺体をひいて“パイ”を作り、ブルドーザーが遺体を集めた。集められた遺体は焼却処分され、ホースで排水溝に流された>

<負傷した女子学生4人が命乞いをしたが、銃剣で刺された。そして負傷した3歳の娘を助けようとした母親が銃撃された。この子供を助けようとした他の6人の人々も銃撃された>

<「第27集団軍」はダムダム弾を使っていた。そしてこの軍の狙撃兵は、(建物の)バルコニーや路上にいる一般市民を標的銃撃練習の的にしていた。北京の病院は、(軍の)治安部隊の負傷者だけを受け入れるよう指示された>

<最初の大量殺戮の波が過ぎ去った後も、虐殺は続いた>
<生き残った1000人は、脱出できると聞かされていたが、特別に用意された機関銃で掃射された。負傷者を助けようとした救急車も銃撃され、乗務員が殺害された>

そしてアラン卿は打電の最後にこう結んでいます。
<最も少なく見積もっても、一般市民1万人が命を落とした>

 どうですか?。この極悪非道&人権無視ぶり(実際、打電内容には、軍のメンバー同士を殺害させたとの記述もある)。
 民主化を求める中国政府への抗議行動は数週間にわたって中国全土の約400都市で繰り広げられ、1989年の6月3日から4日の夜、天安門広場でピークを迎えました。

 アラン卿は打電の中で<国務院の委員の一部は、内戦勃発の危機が迫っていると考えていた>と記していますが、内戦の鎮圧にしては明らかにやり過ぎです。
 そして中国当局が発表した死者数がたったの200人から300人。
 また、大虐殺があった6月4日の朝、中国の赤十字は死者数を2700人と推計・発表していますが、これも少な過ぎますね。

 ちなみに2014年に明らかになった米の機密文書には、中国軍関係者の声として、中国共産党が天安門の大虐殺の犠牲者を1万454人だと考えていると記されていました。
 今回のアラン卿の打電に出てくる数字とほぼ同じです。
 フランス人の中国研究家ジャンピエール・カベスタン氏も、この米の機密文書も類似した死者数をはじき出していることから、アラン卿のこの数字には信憑性があると述べています。

 当然ながら、この大虐殺の死者数について中国はいまだにシカトを続けています。大虐殺によって命を落とした活動家の追悼行事は一切禁止。
 これに関するネットでの議論なども厳しく規制しています。これに関する情報を集めた海外サイトへのアクセスまで禁止させようとする始末です。

 中国共産党は世界各国で反日活動にうつつを抜かす前に、天安門の大虐殺の犠牲となった無垢な一般市民を追悼する像を北京に設置すればどうですかね?。

補足、感想など

 トウ小平さんは、記事にある文字も読めない「第27集団軍」に鎮圧を命じた後は、部屋に閉じこもり、鎮圧の状況を一人見ていたのであろう。
 1万人の生命と9千万人の生命を天秤にかけ、二度と文化大革命の二の舞いをすまいという決断の前には、1万人を殺害するなんて、どうということもなかったのだろうな。

 冷酷無惨といえばそう。
 上でふれた。識字率2030%で、選挙をするとなれば、文字も書けない読めない10億人近い中国人をどうすればいいんだ?と自嘲しつつ自問自答したのだろう。
 中国人というものをよく知っているトウ小平さんは、自分が悪鬼のような人間であることを、冷静に眺めていたのだろう—と思える。

 一国家を指導するという立場にたって、この時点で「正しく判断できるのが自分しかいない」と考えた時、悪魔にも悪鬼にもなれる—そういう人だったのだろうな。トウ小平という人は。

 いや、筆者は、別にトウ小平という人を賛美しているのではない。
 ただ、1980年代、中国の事情がある程度、推定できる年齢であるが故に、「こう判断したのだろうな」と思っているだけだ。
 そして、筆者は、トウ小平という人を「有能な指導者」ではあると認識している。