▲バカを装う—という表現がどうかなぁ。
中国人の価値観なんて、「科挙に合格したかどうか」だけが、唯一の賢こか、バカかの判断基準であろう。
だからこそ、科挙にも合格しない「肉体労働者」を蔑視しているのであろう。
同時に、今、中国で日本の「匠」のような職人への価値を認めようという動きがあっても、実際には、ちっとも「職人への畏敬の念」などもってもいまい。
そのことが、中国の技術というものが、「パクリ」のみに終始していて、そこからの発展につながらないということに関連しているのであろう。
例えば、高速鉄道なんかがその例であろう。
守破までは、中国人はできるが、離が早すぎるというのが、日本人技術者の、中国人技術者への「評」だ。
もう、分かったと言って、自分勝手にやるということだろう。
だから。
高速鉄道プラスアルファができないのだ。
以下、中国の新聞から抜粋。
中国では自己主張が強く、自分のすばらしさや能力、そして自分の意見を堂々と示すのが良いとされている。
それゆえ、中国人には「能ある鷹は爪を隠す」ことが美徳とされ、自慢を避ける奥ゆかしい日本人の考え方を理解するのが難しい。
中国メディアは9月30日、「賢い日本人の多くはバカを装う」と題し、その理由を分析する記事を掲載。
では、日本人のどんなところが「バカを装っている」のだろうか。
記事によれば、例えば、日本人はすでに知っていることであっても、まるで初めて聞くかのように熱心に聞くところだという。確かにこれは多くの日本人が往々にして取っている対応ではないだろうか。
記事は日本社会について、賢い人への風当たりが強く、賢さを隠して生きなければならないと表現。
「器用貧乏」という言葉が日本にあるのは、大人でも子供でも賢くて器用な人は損をし、朴訥としていてまじめな人のほうが愛される社会だからだとした。
出る杭は打たれる社会とも言えるが、中国ではむしろ付け焼刃でも簡単に良い結果を出す人が評価されるという。
それにしても、なぜ日本の賢い人は「バカを装う」のだろうか。記事はまず、協調を重んじる日本の国民性は農耕民族だったためと指摘。
そのうえ、近年では「空気を読む」文化により顕著になり、中国人のように自分の意見や賢さを前面に出すと「自己中」、「発達障害」と言われ浮いてしまったりいじめられたりするため、皆が「バカで朴訥とした謙虚な人」になりたがると分析した。
記事では、この日本人流の「処世術」を肯定はしていないものの、相手の気分を良くさせて、自分を受け入れてもらうのには簡単な方法ではあると結んだ。
日本人の謙虚さが「バカを装う」と思われているというのは興味深い点で、考え方の違いを感じさせる。とはいえ、やはり本当に賢い人は自分で自分のすばらしさをアピールすることはないと思うのは気のせいだろうか。
▲補足、感想など
どことなく、違うなぁ。
日本人って、ことさら自分をアピールするってないだろう。
冒頭でもふれた。
科挙試験に合格したかしないかだけで、人の価値というか、アホ賢こが判断できない—ということが分かっているからだ。
また、日本はエリートとその他おおぜいとの差が極めて小さい国だ。
人の持つ才能・能力は様々なのだ。
あれができなくても、これができる。こんなことは不得意でも、あれをやらせれば抜群ということもある。
人は、その得手のところで勝負をすればいい—というのが、日本人の考え方だからだ。
だから。
別にバカを装っているのではない。
ことさら、ひけらかす意味はない—と考えているだけだろう。
そういえば、日本人は金持ちか否かが外側からさっぱり分からないという外国人の評を見たなぁ。
上のことに繋がっているのだろう。
なんせ、どんな金持ちでも普段着は、ほとんどユニクロで区別なんてつきはしないと。