▲国というものへ、国民というものへの「信用」を毀損しつづける民族。
商売というものの根底にあるものが「信用」だということが、どうしても理解できない民族。
自分で他者に向かって吐き出し続ける唾が、自分の頭の上の落ち続けているのだ。
まず、韓国の新聞から抜粋。
就職難が深刻化する韓国、若者たちが本当に欲しているものは…
2018年2月22日、東亜日報は、ソウル市が支給する青年手当について、受け取る側の青年たちの考えを伝えた。
ソウル市は昨年6月、満19〜29歳の青年5000人を選抜し、青年手当を支給した。
選抜された青年は6カ月間、毎月50万ウォン(約5万円)の手当を受け取ることができる。
今年は7000人を選抜して支援するという。
ただしソウル市の青年手当は、政府が月30万ウォン(約3万円)を3カ月間支給する青年求職促進手当と重複して受け取ることはできない。
ソウル市の手当は、必ずしも就職活動に使う必要がない。
その代わり、青年手当を受け取る2カ月目と5カ月目に活動の結果報告書を提出しなければならない。
昨年ソウル市に提出された報告書の総数は8829件だった。
ビックデータ分析専門会社「アルスプラクシア」が、手当を受けた青年たちの生活と心理の変化を追跡するため報告書の内容を分析した結果、受験本や問題集の購入に加え、塾やインターネット講義を受講した事例が多かった。
手当支給の後半には靴やスーツなど面接に必要な物品を購入する頻度が増えた。
また、創業や創作のための機器や製品を購入した例もあったそうだ。
特に注目すべき点は「青年手当を受けた後、孤立した生活から抜け出し人間関係が深まった」とする内容が多く見られ、青年たちがお金自体よりも「ケア」を望んでいるという事実だったという。
記事は「手当が青年にお金と共に『余裕』と『時間』をプレゼントした」と指摘。
アルスプラクシア代表は「青年手当が就職活動の支援だけでなく、社会的孤立を防止する役割も担うとみることができる」と述べている。
しかし、この報道に韓国のネットユーザーからは「仕事がない状況で6カ月間の手当をもらってもどうしようもない」「このような政策自体、現実的でない」「手当を出すより、雇用を創出してくれ」「大学生です。小遣いなんて望みません。就職先をください」など、同政策に対して懐疑的な意見が寄せられている。
また「本当は酒代に消えているんじゃないのか?」「友達とのコミュニケーションというのは友達と酒を飲むことだろう」など、報告書に書かれた内容と実際は異なると指摘する意見もあった。
▲補足、感想など
韓国に就職先がないために、日本で就職しているという韓国人がいる。
その人達の記事を見てみよう。
--ここから--
2018年2月7日(水)
「政府の紹介で就職したのに」日本で不当な扱いに悩む韓国の若者たち
2018年2月5日、韓国日報は、韓国産業人力公団が支援する就職研修を通じ、希望を持って日本企業に就職した韓国人学生たちの厳しい現状を伝えた。
20代のチェさんは昨年2月、日本の情報技術(IT)企業のアプリケーション開発エンジニアとして就職。政府機関があっせんする企業のため信頼していたという。
しかし、現実は期待とは全く違った。
会社のあちこちに寝袋が散らばっており、会社は従業員が残業したにもかかわらずタイムカードには記録せず。昼食の時間はわずか30分。
しかも机の上でモニターを見ながら食べるという。
チェさんは「数カ月勤務してみたが、企業の財政状態がひどく、それこそいつつぶれてもおかしくないレベルだった」とし、「長く通えば足かせになると思い、6カ月で辞めた」と心の内を語った。
韓国では昨年の海外就業者数が5000人を超えるなど、海外就業が慢性的な若者の就職難の代替として浮上しているが、いざ「バラ色の未来」を夢見て海外に渡った若者の多くが現地で低い給与と不当な扱いに苦しんでいる。
記事は「政府の海外就業支援事業で雇用された場合でも、最低賃金に満たない給与で労働搾取されたり、実際の業務は単純な雑務にとどまるなど、『グローバル人材養成』という趣旨とはかけ離れた場合が相当数ある」と指摘。
また「日本の場合、数年前から従業員に過酷な労働を強要する『ブラック企業』が問題に浮び上がっており、政府が会社名を公開、会社の評判を紹介するインターネットサイトも開設されているが、肝心の韓国政府にはあっせんする企業の情報がほとんどないのが実情だ」とし、「文在寅政府も政府レベルで能力のある若者の海外就業を促進するとして乗り出しているが、現場では就職率の実績を高めるためにあっせんする場合が多いということだ」と分析。
この報道を受け、韓国のネットユーザーからは「やはり韓国の公務員は机上の仕事しかしない」「公務員を信じてはいけない」「国の仲介ではなくて、業者を使ったほうがいいんじゃないか?」「政府が雇用に干渉しようとするからこんなことになる」など、公務員や政府への批判の声が多く寄せられた。
また「日本で4年制大学を卒業し、志望順位1〜10位までの企業は残念ながらすべて落ちた。
今はすべり止めで受けた会社に入って今年で2年目だ。年収400万円で交通費と家賃補助も別途ある。まだそれほど高収入ではないが、基本的に残業はなく、時々あっても15分単位で手当が出るので、それなりにいい環境で社会生活を送っていると思う。
率直に言って、最近労働力不足の日本では、記事に出てくるような悪徳ブラック企業に入ること自体が難しい。それを政府が紹介しているなんて…。とんでもないことだ」と、体験を交えたコメントも見られた。
--ここまで--
まぁ、こんなものだろうなぁ。
次に韓国系のevenki族の妄言もみてみよう。
--ここから--
★2018/02/23(金)
京郷新聞(韓国語)
東アジア現代史を突き抜けて流れる国家暴力と抵抗の足跡を探して、ベトナムを訪れ。
画家、漫画家、写真家、小説家、僧侶などで構成された団の目的はベトナム戦争で韓国軍の民間人虐殺現場踏査と少年・少女従軍画家らに会うことだった。
2015年10月、洪城談画家とともに日本、東京、六本木にあるモリ美術館で「ディン・Q・レ(Dinh
Q Le)」展を見て感動した。
ディンは1978年、十才の若さで両親と一緒にボートピープルになって米国に渡り美術家になり、今は著名な作家としてベトナムと米国で作品活動をしている。
1964年から派兵された韓国軍は上陸とほぼ同時に民間人虐殺を犯した。
2015年、ベトナム労働党政治局戦争犯罪調査報告書はベトナム戦争期間中、韓国軍によって虐殺された民間人犠牲者を5000人余りと報告しており、民間人虐殺研究者らは中部地域で作戦を展開した韓国軍による虐殺は約80件、9000人余りに達すると推定している。
私たちはクアンガイ省のミライとビンホア、クアンナム省のフォンニ・フォンニャット、そしてソンミなど四カ所を訪れた。
米軍の小隊がソンミ村住民504人を虐殺したミライ事件の現場は立派な資料館と一緒によく保存されていた。
そこで昨年退職したファン・ターン・コン館長の話を聞いた。
彼は事件当時、八才、奇跡的に生き残った三人のうちのひとりだ。
解放後、孤児院を経て教育を受け館長にまでなったという。
ソンミ虐殺事件は1968年2月22日、韓国海兵部隊がソンミ村を急襲して、生後二カ月の赤ん坊を含む女子供を中心に135人を虐殺した事件だ。
韓国軍の手法はほとんど同じだ。
村の人々を集めて、女たちを強姦し無差別射撃と手榴弾で虐殺した後、村を燃やした悪鬼のような蛮行だ。
このような蛮行について韓国ではかつて、カン・ジョング、ハン・ホング教授が「日帝の支配を受けたと自分たちの被害性だけを見るのではなく、加害性も見なければならない」として「ごめんなさいベトナム」運動を起こした。
最近では「韓国・ベトナム平和財団」を中心に国家賠償請求訴訟も提起されており関心が高まっている。
もちろん米国の圧力があったとしても韓国政府の責任は追及されるのが当然で、人道主義や正義の審判などの一般的な接近だけでは不十分だと思う。
韓国軍蛮行の現場を見て証言を聞きながらすぐに済州4・3事件や居昌虐殺事件、白善燁軍が智異山一帯で行った残忍非道な「討伐」作戦を思い浮かべた。
そこで作戦を指揮した将軍らは日帝の軍事教育を受け、満州で戦略の村を作って抗日運動を掃討した「間島特設隊」や関東軍または満州軍出身者などだ。
ベトナム人民に行った天人共怒する虐殺蛮行は満州で済州で智異山で私たちの民衆がすでにされてきた苦難である。
その上、我が国ではいわゆる「親日派」がまだ生き生きとこの社会の中心部を掌握している。
それなら私たちはパク・チョンヒと虐殺軍事指揮官の責任を問わなければならないが、何より私たちの中の日帝残滓清算を成しとげてこそ、ベトナムの虐殺事件に対する真の過去清算ができるだろう。
日本で過去清算に最も否定的な右翼らは韓国軍のベトナム人民虐殺事件に非常に高い関心を持っている。
日帝の蛮行を糾弾する韓国人に「君たちがやったことはどうなんだ?」と言いたいのだ。
しかし、その蛮行はかつてアジアで日本軍が犯したことで、日本軍の伝統を受け継いだ韓国軍の暴力的な軍事訓練によって鍛練された日本軍の分身たちが犯した悪行ということを忘れてはならないだろう。
徐勝(ソ・スン)立命館大学コリア研究センター研究顧問
--ここまで--
もう、キチガイだろう。
このevenki族工作員は。
冒頭でふれた。
自分たちで、自国を、自民族の信用を毀損し続けているのだ。
自分たちが他者に向かって吐き出した唾が、回り回って自分の頭に降り掛かっているだけだ。
韓国の就職難なんて、当然の結果ではないか。