▲どうも、大砂嵐の供述が二転三転しているようだ。
事故がどうたらよりも、日本人は嘘を嫌う。
男らしい態度というか、謙虚に判断し行動する人間を好むという性向がある。
大砂嵐の供述が真実かどうか、様々の証拠が上がってくるだろう。
その上で、相撲協会が判断するべきことであろう。
なんどでもいうが。
相撲は日本人が支持し、愛し続けなければそこでもう終わりなのだ。
正しい正しくないというより、最後のところで「日本人が支持してくれ続けるか」ということを「判断基準」とせよ。
日本人からそっぽを向かれたら、そこで相撲は終わってしまうのだ。
そのことを肝に銘じよ。
以下、新聞から抜粋。
日本相撲協会は、1月に十両大砂嵐(大嶽)が乗った車が長野県内で追突事故を起こしたとされる問題について、協会の懲戒処分を決定するのは警察の捜査・検察の処分が決まるのを待ち、それまでは自宅謹慎とすることを発表した。
大砂嵐は無免許で自動車を運転した疑いがある。
これまで協会が行った3回にわたる聴き取り調査によれば、事故の報告を怠ったことについては非を認めているものの、「私は運転していない」と無免許運転については依然、否定しているという。
危機管理部長の鏡山親方(元関脇多賀竜)は会見で「弁明の内容が二転三転していて、疑問点が多く信用しがたい」と話し、「(大砂嵐には)警察の事情聴取には誠実に応じ、うそ偽りなく話すように伝える」と説明した。
▲補足、感想など
無免許で運転していれば、免職という可能性が高かろう。
これを厳しいというか。
アラブの国なら、もみ消すことができるのかもしれない。
しかし。
ここは日本だ。
無免許運転でも、もう、日本国籍を取得することもできまい。(帰化ができないということ)
逆にいえば、それだけ日本人は用心して注意深く暮らしているということなのだ。
それが息が詰まるような—というなら、もみ消しでもなんでもできる国に行けばいいことだ。
日本人は、罪を容認するということはない。
冒頭でふれた。
相撲は、そういう日本人が支持し続け、愛し続ける存在でなければ、もう未来はないのだ。
判断基準は、上でのべた通りだ。
最終的に判断し、実行するのは相撲協会だ。同時にすべての責めを負うという覚悟で、相撲協会は判断すべきだ。