▲まぁ、日本語自体が、漢字と漢字から派生したかなでできているのだからなぁ。
自分の血肉を削ぎ落とすようなものだろう。
一番危なかったタイミングは、やはり、先の大戦の直後だろう。
フランス語にしてしまえ-てな意見も出た頃だ。
日本語の替りにフランス語にしてしまえば、もう、百人一首を、芭蕉の俳句を、宮本武蔵の五輪の書を捨てるということだ。
どうのこうのと言っても、失うものが多すぎる。
まぁ、そのあたりまでふれた、中国人の文章があった。
こういう文章を見て感ずるのは、中国人の日本への見方が、わりあい、「まとも」になったなぁと感じる。等身大に見えるということかな。
以下、中国の新聞から抜粋。
2018年2月16日(金)
漢字文化圏の縁にいた日本はなぜ漢字を捨てなかったのか。
澎湃新聞は、「漢字文化圏」の国が続々と漢字を廃止してきた中、日本だけが漢字を残してきた経緯について紹介する記事を掲載。
中国を中心とし、日本や朝鮮、ベトナムなど東アジアから東南アジアにかけての地域はかつて言語文字として漢字を使用する「漢字文化圏」が形成されていた。
しかし、近代以降欧米列強のアジア進出などにより約1世紀の間に「漢字文化圏」は解体状態となった。
記事は、日本では江戸時代から漢字廃止論が存在し、蘭学者の西川如見が提唱していたほか、幕末の1866年には前島密も「日常および公私の文章より漢字を排除」することを提起していた。
そして明治に入ると文明開化に伴う西洋文化流入の影響を受け、清朝の弱体化の原因として漢字がやり玉に挙がるようになり、漢字の廃止が盛んに叫ばれた。
また、日本において最大の漢字廃止の危機は、「1945年の敗戦によってもたらされた」と説明。
「戦後の日本の改革を主導した米国人は、日本語をローマ字化することにより日本人の思想をコントロールしやすくするとともに、日本政府官僚たちのやり取りを厳しくチェックできると考えた。
そしてこの動きには当時の新聞社も付和雷同し、漢字の廃止を呼び掛ける文章さえ掲載した」と。
そのうえで、「当時の日本政府は漢字が国体護持の最後の砦と考えており、占領軍の意志に背いた。46年に1850字からなる当用漢字音訓表を発表し、そこから漢字仮名交じり文を法律条項、公文書、メディアにおける使用文体として規定する道を進んだ」と説明。
そして、81年には「わが国が長く用いてきた漢字仮名交じり文体は、わが国の社会、文化を最も効果的かつ適切に表記する文字であり、今後も充実させる必要がある。
漢字の造語能力は高く、語義が明晰である一方、使用量が多すぎれば表現上、理解上の誤解を生じかねない。
この特徴をつかんでこそ、わが国の文字表記はより豊富で優美なものになる」と定義され、漢字の地位がついに定まったのだと記事は解説。
▲補足、感想など
日本の「漢字かな交り文体」は、世界最強言語だ。
漢字というものが、本来的にもつポテンシャルを最大限引き出した文体だと思える。
対して、中国の漢字オンリーの漢文という文体は、漢字という表記方法が本来的にもつポテンシャルをうまく引き出すことができず、逆にその難解さで、また、高度な概念を正確に他者に伝えることができない不完全さによって中国人達を圧し潰してしまい、歴代王朝による「中国人愚民化政策」の一環をなしていたとみて間違いではあるまい。
このことが、20世紀半ばで、日本人の識字率ほぼ100%、中国人の識字率5%という結果として、顕在化したのだ。
このことが、20世紀半ばで、日本では戦艦大和を建造し、ゼロ戦が制作できたのだ。対して、中国人は、自国を守る武器すらも製造できなかった。
中国人って、19世紀から20世紀にかけて、国民の殆ど(90%を越える)が、無学文盲・無知蒙昧だったのだ。
で。
苦力として奴隷のような状態で、北米とか南アフリカなど世界中に「単純労働者」として流れていった。
また、上海付近では、ボロボロの服を着て、うつろな表情で、そこらを徘徊していたのだ。そのために、上海の英米等の租界では、英米諸国民から「犬と中国人は立ち入り禁止」などと掲示されたのだ。
流れをみて分かるごとく、たかが、「漢字」というものをどう利用するか—で上のような違いとして顕在化するのだ。
日本人は、漢字というものに感謝している。
さて。中国人はどうなんだ?
上でもふれたが、中国人は、漢字というものが「本来的に内在するポテンシャル」を、うまく引き出しているとは思えない。
どうしたら、漢字が本来的にもつポテンシャルを引き出し得るのか、もっと工夫が必要なのではないのか。