▲その通りだろうなぁ。
でも、それだけではなにか足らない。
なにか、生命力の輝きというか、お前は生きるに値する人間なのだよ—という言葉が欲しい。
でも、これじゃ、当人にはおんぶにだっこのような話だな。
その不足分を考えていると、どうしても戸塚さんの話へ方向が行ってしまう。
--ここから--
【戸塚宏氏は「体罰は教育だ」と言う】
2016.07.16
いまや体罰は「絶対悪」の時代である。しかし、戸塚ヨットスクール校長、戸塚宏氏は、今でも体罰肯定論者である。その真意はどこにあるのか。
今も、戸塚ヨットスクールは存在している。訓練生は、今は8人だ。
今はいちばん下が高校生で、いちばん上は40歳代である。
「50歳過ぎてから親に連れてこられるやつもいるよ。戸塚ヨットスクールに入れるような親は鬼だっていう書き方をするでしょう。
だから、精神科やらフリースクールに行って、でも何ともならなくて、最後の手段としてうちにくる。その頃には、40歳とか50歳になってる」
3歳から12歳までの幼児を対象に一週間前後の合宿「戸塚ジュニアヨットスクール」を毎月、開催するようになった。
「結局、教育は幼児からやらんと手遅れなんだということがわかった。幼児のときにきっちりやれば、あとは自分で自分を伸ばすことができる」
──著書に、体罰は肯定しているけど、事件後は封印した、と。
「封印してないよ。そんな法律はない。体罰禁止は学校教育法の中にあるだけで、民法の中にはない。体罰を使った方が、この子たちはうまくなると知っとったもんで、うちは株式会社にした。」
──著書には、手は出していないと書かれていましたが。
「してない、と言っとかないと」
──今回の記事で、今の発言を書いてもいいんですか。
「いいですよ」
──親には体罰を行うこともありますと言う?
「親に対しては一切口を出すなって言う。うちの教育者たちはプロ中のプロやぞいう自負がありますから。
うちのスタッフに比べたら、ほかの教育者なんてみんな素人よ。親は口を出さない。これが条件。口を出すんだったら、最初から預からない」
狂信的な言葉に聞こえる。 戸塚も「捨てる方が冷たい」と言う。
戸塚ヨットスクールは、精神疾患者、知的障害者、自閉症の子以外にはすべて門戸を開いている。ただし、戸塚は今の時代に精神疾患と診断された子どもの8割が誤診だと言い切る。
「学校が手に負えんやつに、病名を与える。発達障害の子どもって、増えてるじゃない。あんなのインチキや。そう言えば学校の責任じゃなくなるからでしょ。昔から、自分の子どもを精神疾患だと言われ、納得できない親がうちに連れてくることがよくあった。やってみると、10人中8人は治る。昔はそういう子どもを発達障害なんて言わんやって」
秩序を守れない子どもたちへのレッテル貼りが進むと同時に、教育現場では「個性」が尊重される時代だという。
「ニートまで個性だなんて言い出すから、日本の教育がおかしくなった。今の教育者は、子どもに恥をかかしちゃいけないって言うけど、悪いことをしたら引っぱたかれる。それがトラウマとなって悪いことをしなくなる。これが人間のあり方よ」
ただ、戸塚の意見を暴論だと簡単に捨てることができないのも感想である。万能薬が存在しないように、ありとあらゆる子どもに通用する教育論などありはしない。そして効く薬に害があるように、効果的な教育には負の側面もあるのだろう。
「体罰」というコミュニケーションが必要な子どももいるのかもしれない。
体罰を容認するかしないは別として、教育を考えるとき「体罰=悪」と何でもかんでも一緒くたにするのではなく、小さなスペースぐらいは残して置いてもいい。
--ここまで--
なにか、腰の引けた論評の記事ではある。
まず、表題の記事を抜粋して転記しよう。
2018/02/03(土)
義家弘介
人間って、本来、引きこもれないと思う。自分も16から17まで里子に出されて、引きこもりですよ。 そうすると、狂いそうになっちゃうんですよ。やることがない。
瀬戸内:何をしてたの?
義家:本を読んで何とか精神を安定させた。でも今の子供って、インターネットでチャットもできるし、ゲームもできる。
それに没頭していると辛さを感じなくていいわけです。要するに引きこもれる環境がある。
ひどい奴になると、一日中、匿名の誰かとチャットでつながり続けるわけです。
瀬戸内:そんなに…。
義家:インターネットをしていると、時もたちますしね。だから引きこもりをしている限り彼らに未来はありませんね。だって、履歴書に5年も空白のある人を社会は必要としない。
立ち止まったり、引きこもってもいいという寛容さを示すのは簡単ですが、それを容認することによって
そいつにどれだけ人生の重荷を背負わせてしまうかということ。
俺自身、高校中退したという荷物が一体どれだけ重かったか。
人の10倍、100倍やらないと、同じ扱いをしてもらえません。容易に引きこもりを認める人は、一生、そいつの荷物を一緒に背負っていけるのか。そこを考えてほしいですね。
瀬戸内:義家さんは自分の教え子に引きこもりの子がいたら、どういうふうに対応するの?
義家:まず、部屋からたたきだしますよ。俺が一回やったのは、そいつの部屋に行って、ゲームをぶっ壊しました。
グシャグシャにね。もちろんあとで弁償しましたけど。こんなことやってる場合じゃないだろう、なぜ学校に来られないのか、悶々と考えろと。
▲補足、感想など
一筋縄ではいかない。
でも。
どこかで一人暮らしをさせれば、自分でなにか食べなければ死んでしまうしなぁ。
ひきこもりとなりようがない。
あれっ、簡単ではないか。
要するに、ひきこもりを家から追い出して一人暮らしをさせればいいことだ。
それができない親たちが存在するから、「ひきこもり」という現象が発生するということか。
こう考えると、ひきこもりというのは、その本人だけの問題ではないな。
親達が対処できるだけの常識をもっているかどうか—の問題でもあるのだな。
この決断ができないだけで、40才とか50才になって、戸塚さんのところで、海に放り込まれるのか。
そりゃ、手足をバタバタさせなければ死んでしまうし---。
要するに、劣等感のようなものが引き金となって精神の萎えた人達なのだ。生きていたいという生命力の乏しい人達なのだ。
要するに、劣等感のようなものが引き金となって精神の萎えた人達なのだ。生きていたいという生命力の乏しい人達なのだ。
生きたい・生き残りたい—という一番根源的な欲求を体の奥から引き出してやればいいことだと思える。