▲なにか、中国人って、日本の明治維新というものに関心があるのだなぁ。
あぁ、台湾でも明治維新がどうたら番組でいっていたな。
チョンマゲを結っていた極東の島国に暮らす野蛮人が、「明治維新」という魔法を使って、あっと言う間に、西欧化したと外から見えるのかな。
日本人から言わせれば、「明治維新」って、ちょいと玄関の「表札」を新しいものに取り替えたという感じだけれどもなぁ。
以下、中国の新聞から抜粋。
近代化に向けて歩んだ日本と中国の道のりは大きく違っている。
日本は明治維新を成し遂げ、鎖国解除から短期間で世界の列強へと名を連ねたが、当時の清朝は洋務運動を成功させることができず、最終的に滅亡するに至った。
中国メディアは、日本と中国の近代化に向けた道のりの違いと、その違いを生み出した要因について考察する記事を掲載し、なぜ、日本だけが鎖国中の立ち遅れた国から「華麗な転身」を実現できたのかを考察している。
記事は、清朝の洋務運動は成功を収めることができず、その後の改革や革命においても苦難の連続だったと主張する一方、日本は長らく鎖国していたにもかかわらず、極めて短期間で国力を増大させ、清朝を一気に超えてアジアの強国になったと指摘し、この違いは一体何が要因だったのかと問いかけた。
続けて、開国までの日本は中央政権が確立されていない封建国家であり、徳川幕府が実質的に国家権力を掌握していたが、名目上は天皇こそが国の最高権力者であるという構造だったと指摘。
こうした構造は倒幕と新政府樹立に向けた合法性をもたらしたとし、構造の違いが明治維新と洋務運動の成否を分けた要因の1つであると論じた。
さらに、当時の日本と中国の違いの1つとして「教育水準」の差を挙げ、日本の識字率は世界的に見ても非常に高かったとしたほか、日本は鎖国中もオランダから積極的に知識を導入していたと紹介。
一方、中国は長期にわたって愚民政策を実施してきたため90%以上の人が文盲だったと指摘し、洋務運動を行ったのは一部のエリートであり、一般の人びとは文明とは何かすら分からない状況であったため洋務運動は理解されなかったと指摘した。
また記事は、当時の日本はほぼ単一民族国家だったが、清朝は満州民族による王朝であり、その王朝による洋務運動は人口の大半を占めていた漢民族の理解を得られなかったと主張。
こうした違いが日本の明治維新成功と清朝の洋務運動失敗につながり、最終的には近代化に向けて歩んだ日本と中国の道のりの違いにつながったと伝えている。
▲補足、感想など
ほう、中国人にしては、まともな記事なんだな。
自分の目で、自分の「姿」を正しく捉えることができるようになったのか。
核心はなんだろうか。
記事にあるように「愚民化政策」があり、そのツールとしての漢字のみの漢文という「言語」こそが、「中国人がなにもかも遅れる」原因そのものなのだ。
このブログでなんどもふれているように、「漢字」が悪いのではない。
漢字は、そもそも高いポテンシャルをもつ「ツール」なのだ。
日本語の「かな」ような「表音文字」を混在させて使えば、「漢字が本来的にもつポテンシャル」を100%引き出すことができるのだ。
単に中国人は、漢字に本来的に内在するポテンシャルを引き出すことができず、反対に漢字に圧し潰されてしまっているのだ。
そのあたりのことを言い出した中国人って、「毛沢東が日本語のかなを導入しようと戦後すぐに提唱したが、周囲にいた日本留学組の幹部たちに反対された」とかいう、定かならぬ「噂」を聞いただけだ。なぜ、中国人って、漢字の改革にもっと積極的に取り組まないのか。
中国人の子供たちが、新聞紙を読めるのは、高校生くらいからだと聞いた。
筆者など、小学4-5年生、年齢でいえば10才前後から新聞を読んでいる。
中国語でも日本語の「かな」に類する表音文字をとりいれたらどうなんだ?
そのことが、歴史的な愚民化政策から脱却できる「唯一」の手段だと思える。
上で自民族の歴史を「直視」できるのだなと思ったが、文化大革命を中国では「なかったもの」にするという策謀が進捗しているようだな。
--ここから--
留学して1年ほど経つと、中国人教師と雑談ができるようになる。
そこで彼らはしばしば「文革」に言及した。
「文革で中国の成長は数十年分遅れた」「文革でこれまでの蓄積が失われた」。
中国語と歴史、いずれの知識も乏しかった私は「ウェンガー(文革)」と聞いてもすぐに何のことか分からなかったのだが、文脈から段々「文化大革命のことだ」と気づき、改めて中国の戦後史についてネットで読み、「毛沢東」さんの負の遺産の重さを認識した。
文革で弾圧されたのは知識人だ。
だからか中国の大学教員の文革アレルギーは強く、また、色々なことを文革と結びつけて話す。
例えば、「●●氏は1977年に大学に入っているので、極めて優秀な人だ」というように。
文革によって中国は1966年に大学入試がストップし、1977年に再開された。
その年の入試は、試験が中断していた期間の受験生が殺到したため、合格したのは秀才中の秀才だった。
実際、私の留学先も、その後勤務した大学も、副校長や学部長など幹部の年齢が、日本の平均的な大学に比べると一世代若かった。
1977年入学以前の人材がほとんどいないからだ。
文革によって蓄積が破壊されたことは、もしかしたら昨今の中国のテクノロジーイノベーションと関係があるのかもしれないが、教育関係者の多くは、「中国が世界から遅れた最大の原因」ととらえている。
最近、「米中国交正常化とトウ小平の奮闘」をテーマにした中国ドキュメンタリー番組の字幕翻訳を手掛けた。
トウ小平と言えば、毛沢東路線を修正し、中国の経済成長の基盤をつくった功労者。
彼が主導した「改革開放」も、中国では耳にする言葉で、日本でしばしば「バブル後」「バブル並み」といった表現が使われるように、中国は「改革開放以来」「改革開放によって」と、1つの時代を象徴する言葉にもなっている。
その番組を翻訳していて、「あれ?」と思うことがあった。「米中国交正常化に至るまでに、トウ小平は3回復活を遂げた。1度目の復活は●●年、2度目は●●年」と紹介されるのだが、「復活」への言及はあっても、番組内で「失脚」の経緯が語られないため、「奇跡の復活」「倒れないトウ小平」とナレーションがあっても、ピンと来ないのだ。
トウ小平を何度も政治から追放したのは、まさに毛沢東とその側近による文化大革命だったが、ドキュメンタリーでは「文革」という言葉は不自然なほどに避けられている。
「周恩来が死亡し、トウ小平は失脚した」「毛沢東が死亡し、トウ小平が再び帰って来た」と説明されるのみで、「後は視聴者が察してください」と言わんばかり。
ナレーションを訳しながら「中国史に詳しくない日本人視聴者は流れを理解できないのではないか。なぜ文革に触れないのか」と悩んだのだった。
今年に入り、中国の中学校で使われる歴史教科書から、「文化大革命」の項目が削除されるとの情報が暴露され、日本でも「過去の失政を隠す目的か」と報道されている。
今の50代、60代の誰もが大きな影響を受け、その世代の教育者が教室で「中国の発展を遅らせた」と断言するほどの戦後史の汚点。
教科書の出版社は、「別の項目で重点的に記述している」と釈明している。
だが、上述のドキュメンタリー番組の中国での放送日は2016年秋。
もしかしたら、「文革」を表舞台から消そうとする動きは、かなり前から始まっているのかもしれない。
--ここまで--
ふ~ん。都合の悪いことは、無かったことにするのか。
文革が中国が「遅れた理由」てか。
まぁ、そう言えなくもないが、主犯はそこではない。
冒頭でふれた通り、主犯は、中国の王朝が歴代続けてきた「中国人愚民化政策」だ。
そのために、20世紀前半でも識字率5%程度だったのだ。
漢字オンリーの漢文という言語、通常人が読めないほどに難解にした漢字。
これこそが、アヘン戦争で英国からの惨めな敗戦をもたらし、洋務運動を頓挫させ、苦力という無学文盲の単純労働しかできない労働者をアメリカの鉄道建設工事へ大量に送り出し、日清戦争に敗北をもたらし、上海の租界で、「犬と中国人は立ち入り禁止」という看板をかけさせ、日本人との軋轢から日中戦争へなだれこんだ理由なのだ。
だから。
中国人の識字率をあげよ。識字率を上げる「工夫」をせよ。
なんなら、日本語の「かたかな」「ひらかな」を採用したらどうだ。
日本語の「かな」は、漢字由来だから親和性が高いだろう。
何度も同じことをいうが、明治維新直前で、日本人の識字率は70-80%あったのだ。武士階級に絞れば100%の識字率だ。
中国人の5%とは雲泥の差であろう。
この識字率の差こそが、明治維新の成功をもたらし、中国の洋務運動を頓挫させた理由だ。