2018年3月19日月曜日

パナソニックは「向こう」が見えない。その2


パナソニック100年という連載記事を見ながら、いろいろ思った。
 円が固定相場から変動相場制に移行したのが、昭和40年代末くらいだったかな。
 だから。
 昭和40年代末まで、1ドル=360円だったのだ。
 今がまぁ、1ドル=100円位だから、比較すれば3.6倍も円安だったのだ。

 この円安を利用?して、日本はアメリカにテレビを売りまくった。お陰で、アメリカのテレビメーカーは全滅した。
 アメリカは、1970年代頃に、産業革命に100年遅れた日本から「安物攻撃」を受けたということだ。
 そして、日本は、日本より100年遅れの中国から50年後くらいに、中国から安物攻撃を受けているのだ。
 歴史は繰り返すとは言うものの、なるほどなぁと思う。

 まず、新聞記事から抜粋。

 米ネバダ州リノの山奥。パナソニック社長の津賀一宏(61)は1月、電気自動車(EV)向け電池の工場「ギガファクトリー」を訪れていた。共同運営する米テスラの工程が想定通り進んでいない状況を自らの目で確かめるためだった。
  「よくいらっしゃいました」。津賀との打ち合わせに臨んだテスラの最高経営責任者 (CEO)、イーロン・マスク(46)。EVの先駆者として強気な発言でならすが、この日は丁寧な対応だった。
 電池生産を増やすよう迫ってきたテスラ自身がボトルネックとなる皮肉。
 「業績に響いたが、関係が対等になってよかった」。
 電池を納める下請けからパートナーになったとの思いが津賀の胸をよぎる。
 戦後、世界有数の家電メーカーの地位を築いたパナソニック。
 テレビが好調だった約10年前の連結売上高は過去最高の9兆円超。
 当時はサムスン電子を上回っていたが、パナソニックが売上高を1兆円減らしたのに対し、サムスンは24兆円規模。営業利益では15倍以上の差がつく。

 08年に社名変更したが、「松下電器産業」時代の売上高、最高益を更新できないでいる。
 1980年代前半。谷井昭雄(89)はテレビの担当役員として訪れた米ゼネラル・エレクトリック(GE)で、トップのジャック・ウェルチ(82)から提案を受けた。
 「GEと松下でテレビの合弁会社をつくろう」。
 「自分たちは負けない」と断った谷井にウェルチは言う。
 日本企業にやられた我々のような立場に、あなた方もなる時が来る」
 韓国勢との競争に敗れ、パネル生産の巨額投資が招いた2011、12年度の経営危機、ウェルチの予言から30年がたち、津賀はテレビ事業を縮小し、北米から撤退。

 今年1月にラスベガスで開かれた家電見本市 「CES」で初めて家電を展示しなかった。
 主役は小型EVや二輪車の 「車台」。電池や車載部品から一歩進み、主戦場を家電から「クルマ」に変えようと模索を始めた。
 変えようとしているのは事業だけでない。
 アップルの本社が目に飛び込んでくるシリコンバレーの一角。100周年に向けてつくった開発チーム「パナソニックβ(ベータ)」のメンバーがジーンズ姿で作業にいそしむ。
 名前が表すように「不完全のものでも試作品を出していく」。

 これまでのパナソニックとは対極的な手法だ。
 各事業部の若手エースを集めたチームができて半年ほどたった1月。
 スタートアップ企業さながらに部屋のボードにはアイデアを書いた紙がびっしりと貼り付けられていた。
 「上への説明のための膨大な資料づくりや打ち合わせは不要。まず作ってから考える」
 そのリーダーに独IT(情報技術)大手からの転職組の馬場渉(40)を据えたのも、内向き・純血主義と評される同社では見られなかった風景だ。
 馬場は言う。「アップルを目の前に我々はぽっんと小さい部屋にいる。ここから世界一奪還だ」
      
  「二度と『松下』の敷居をまたげると思うな」。当時の松下電器の社費で米国留学した直後の1992年、コンサル大手に転職した樋口泰行(60)は上司にこう言われて会社を去った。
 津賀は日本マイクロソフトの会長などを歴任した樋口を昨年舂に復帰させ、要職に据えた。
 樋口は「『門真発想』ではもう限界」と宣言し、企業向けシステムの社内カンパニーの本社を大阪府門真市から東京へと移した。
 自身を取り巻く慣例も津賀は破る。
 「社長就任から『6年』、だけどまだ61歳だから『66歳』には全然なっていない」。
 「6」にかかかる社内の2つの不文律。津賀以前の2人の社長は6年で交代し、創業者の松下幸之助は66歳で社長を退いた。
 「創業者が存命なら 『何それ』と言われるだろう」と気にとめない。
  「日に新た」。津賀が特に好きな幸之助の言葉だ。
 日々、変化する社会の課題を幅広い事業を抱える総合力でビジネスにしていく。
 「何の会社なのか」と自問する津賀の心境になじむ。
 ただ、クルマ以外の柱は見つからず、主力の電池事業も競争は過熱する。
 「結果としてビジネスモデルが変わってこそ本物」もがく先の道は決して平たんではない。  

補足、感想など

 津賀さんって、「一回、ノックダウンされて敗者となった」という「破れし者の清々しさ」を感じるなぁ。
 先は見えない。
 とにもかくにも、考えられる「手」をすべて打とう—ということなのだろう。

 パナソニックの健闘に期待したい。