2012年7月18日水曜日

坂本さんって、教養がない。


▲坂本龍一という音楽家がいる。
その音楽の才能は認めるものの、非常識というか普通に世間で暮らすには不適応な人ではある。<まぁ、教養がないとでも言えば一番正しい表現であろう>
反原発らしいのだが、そのセリフが頂けない。
「たかが、電気」だとか。
なにか人類が長い時間をかけ営々として築きあげてきた、「科学」とか「技術」というものに対して「畏敬・畏怖」の念がないのか。
人類の生活は、電気を含めたエネルギーによって支えられている。
普通にご飯が食べられて、電車に乗れて、インターネットができることの大事さ、嬉しさを認識せよ。
反原発というのは、まぁ、いい。
そういう人がいて当然だとは思う。
しかし、上のような「科学・技術」というものへの畏怖・畏敬の念のないセリフは、嫌悪されて当然だ。
自分が、自分の生活がどのようなものに支えられているのか、直視せよ。
以下、新聞から抜粋。

「脱原発」を訴える市民集会「さようなら原発10万人集会」が、代々木公園で開かれた。
大江健三郎さん(77)らが呼びかけた署名運動「さようなら原発1000万人アクション」の一環。
約17万人(主催者発表)が集まり、原発の再稼働に踏み切った野田政権に方針撤回を迫った。
「たかが電気のためになんで命を危険にさらさないといけないのでしょうか。子どもを守りましょう。
日本の国土を守りましょう」。
集会は、音楽家の坂本龍一さん(60)のあいさつで始まった。
大江さんは、約750万人分の署名の大半を野田佳彦首相あてに提出した翌日に 野田政権が関西電力大飯原発の再稼働を決めた経緯に触れ、「私らは侮辱の中に生きている。政府のもくろみを 打ち倒さなければならないし、それは確実に打ち倒しうる。原発の恐怖と侮辱の外に出て自由に生きることを皆さん を前にして心から信じる。しっかりやり続けましょう」と訴えた。
「冥土のみやげに皆さんの集まった姿を見たかった」。作家の瀬戸内寂聴さん(90)。
「政府への言い分があれば、口に出していいし、体に表していい。たとえ空しいと思う時があっても、それにめげないで頑張っていきましょう」

▲補足、感想など
それは確かに福島の原発事故は、その被害は甚大だし、この先どうなるのか不透明なままだ。
 だが、人類はこの惨状を目の前にして、なお、この原子力という制御しがたい荒馬を、なんとか制御し乗りこなさなければ、人類に未来はあるまいと思える。
そして、もし制御できるとすれば、それを可能とするのはおそらく日本人だけであろうと思える。
また、今の生活を維持するためにも、原発を稼働させなければエネルギーが不足となる。
仮に原発に代替するエネルギー源が実用化されるとしても、もう20-30年は充分に掛かる。
その間は、どうしても原発を稼働させ、エネルギー源を維持しなければ、そもそも、代替エネルギー源を見つけるにせよ、更に安全な原子炉を開発するにせよ、それが可能とはならない。
そのことをまず、直視せよ。
坂本さん、大江さん、瀬戸内さんの主張も分からないではない。
しかし、エネルギー源を切り替えるには時間が掛かるのだ。短兵急にはものごとは切り替わらない。
そういうことが上の記事にのっている人には分からないのだな。
失礼ながら、「教養がない」ということであろう。
また、三年前に、マスコミに煽られ、民主党に投票した人でもあろうと思える。
要するに、普通に生きていくために必要な「核」となる知識が乏しいのだ。扇動に乗せられやすい人達ということであろう。