2013年8月14日水曜日

東京新聞で、麻生さんを攻撃する。

▲いや、手をかえ品をかえ—飽きない連中だ。
 日本に在住する朝鮮系呼応集団の一つである東京新聞の朝鮮系の記者が、麻生さんの発言について攻撃している。
 
 それもまぁ、杉原千畝さんを例示して。

 大切なことを繰り返そうか。
 日本人は、日本に在住する朝鮮系呼応集団(新聞テレビ界に巣食う—朝鮮系の記者、論説委員、大学教授、コメンテーター、国会議員など)のいうことなど信用しないよ。
 日本全国津々浦々まで普及したインターネットがある時代に、新聞テレビだけで日本人の世論を操作・操縦できる訳があるまい。

 朝鮮系の人達よ。時代が既に変化したことを認識せよ。

 以下、新聞から抜粋。


 麻生太郎副総理兼財務相が改憲に絡め、ナチス政権を引き合いに出した発言をしたことは、不信感を広げた。
 ユダヤ人にビザを発給し、多くの命を救った外交官に杉原千畝がいる。
 杉原千畝研究会のw代表に、 杉原の行動と比較しながら麻生氏の発言の問題点をあらためて聞いた。
 w氏は「世界から信頼される国になろうとした杉原の行為を 無にした」と批判。

 -杉原がビザを発給した時の思いは。

 「当時、日本政府はドイツ、イタリアと三国同盟を結ぼうとしていたこともあり、ビザ発給を許さなかった。
 それでも杉原は人道上だけでなく、日本の名誉のためにも、ユダヤ人を助けるべきだと判断した。
 この戦争はドイツの誤りであるということも分かっていたと思う」

 -日本の名誉のためとは。

  「杉原は晩年の手記で『ユダヤ民族から永遠の恨みを買ってまで、ビザを拒否しても構わないのか。それが国益にかなうことか』と 悩んだことを振り返っている。
 国益は『もうける』『勝つ』だけでない。杉原はより広い視点で、世界から評価される国であろうとした。
 それが国を愛するということだ」

 -その杉原の思いに、麻生氏の発言は水を差してしまった。

  「麻生氏は外相だった二〇〇六年、リトアニアのカウナスの杉原記念博物館を訪問した。
 外務省は長年、当時の ルールを逸脱したとして杉原の功績を認めてこなかった。
 麻生氏の訪問は、正しい歴史認識があったからこそと思っていたが、今回の 発言には失望させられた。  
 世界から信頼される国になろうとした杉原の行為を無にした」

 -正しい歴史認識とは。

  「戦後、ドイツはナチス政権を全面否定し、強い反省の意を表明している。
 麻生氏の発言は、この歴史認識に触れていない。日本の 政治家は、発言の重さを自覚してもらいたい」

 -戦前のドイツの失敗から学ぶものは。

 「第一次世界大戦で背負わされた賠償で、ドイツ国民は疲弊していた。そこにヒトラーが現れ、魅力的に映った。ヒトラーは事実上 憲法を停止する全権委任法を成立させ、独裁を可能にした。
 ドイツ国民は正しい判断ができなくなっていった。大勢に流されず、信念に 基づいて正しい判断をすることが大事だ。」

■麻生太郎副総理兼財務相の問題発言 

 7月29日に講演し、ドイツでヒトラーのナチス政権が欧州で最も進んだ憲法だったワイマール憲法下 で出てきたと指摘し「ワイマール憲法がいつの間にか、ナチス憲法に変わった。あの手口、学んだらどうか」と述べた。

 米ユダヤ系人権団体は「どのような手法がナチスから学ぶに値するのか」と批判。
 中韓も「過去の日本の帝国主義による侵略を 受けた周辺国民にとって、この発言がどう映るかは明らかだ」などと反発した。

 麻生氏は発言の3日後、講演の際に「(改憲は)騒々しい中で決めてほしくない。間違ったものになりかねない」と発言していたことを 踏まえ「憲法改正が喧騒に紛れ、十分な国民的理解と議論のないまま進んでしまったあしき例として挙げた」と釈明した。

 独紙フランクフルター・アルゲマイネは「聞いた人はそんな理解はしないだろう」と報じた。

 政府は13日の持ち回り閣議で、麻生氏の発言について「ナチス政権の手口を踏襲するという趣旨で発言したわけではない。麻生氏なりの言葉で表現した」とする答弁書を決めた。


▲補足、感想など

 なにか手のこんだ「攻撃の仕方」だな。
 自分の言葉で「攻撃」するのではなくて、いわば、誘導尋問のような形で他者に麻生さんを「攻撃」させるという手口か。

 なるほど、うまいものだ。

 えっと、麻生さんがなにを言いたかったか—というのは、このブログで何度も推定してみた。
 筆者は、ワイマール憲法下の自由選挙で、権力をヒトラー個人に掌握した—その手法(麻生さんの言い方なら”手口”か--に関心があったのだろうな-と推定した。

 それは、記事にある杉原記念館の代表が指摘していることと同じポイントであろう。

 核心はなんなのかなぁ。
 1920年代-1930年代にかけてのドイツ国民の「懊悩の深さ・苦しさの耐え難さ」—というところにあるのだろうなぁ。
 あ、ドイツは第一次世界大戦での敗戦国だった。戦勝国からとてもではないが払い切れないような巨額の賠償を請求された。
 い、少数政党が乱立し、決められない政治が続いて、「議会制」というものに絶望していた。
 う、そんな中、1930年前後に世界的な恐慌が襲来し、失業者が急増したのだ。

 ヒトラーは、そういうドイツ国民の抱えていた懊悩、苦難に対して、なんらかの展望・解決策を提示しえたのだ。
 w代表は、「トイツ国民は正しい判断ができなくなっていた」--とか言及されている。


 正しい判断?

 
 それをいうなら、2009年夏の衆議院選を振り返ってみよ。
 朝鮮系の民主党を勝利させるために、マスコミに巣食う朝鮮系の記者、論説委員、コメンテーターがどうだけ、民主党をもちあげていたか。
 以後、朝鮮系のルーピー鳩山さんを始めとして朝鮮系政権が3代に渡って続き、純日本人にとっては、暗黒の、苦痛に満ちた3年間が継続したのだ。

 正しい判断であったかどうか—は振り返ってみたとき始めて分かることだ。

 話がどこかへいった。
 
 1930年代のトイツ国民にとって、ヒトラーの「解決策ないし展望」というものが、どのようなものかは筆者には理解できない。
 トイツ国民には「心の琴線」に触れる—そんなフレーズであったのだろうなぁ。
 ここは、ヒトラーの賢さを認めるべきであろう—と思える。

 やっていることは外側からみて、気違いじみているのに、本人は普通の常識人ということはよくみることではないか。
 例えば、北朝鮮の首脳なんて、そうだろう。

 話がアチコチへいった。

 麻生さんの言いたかったことの核心は、「1930年代のドイツ国民がかかえていた懊悩を理解しなければ、ヒトラー個人へ権限が集中した”手口”を理解することは難しいよ」ということであろう。
 逆に言えば、ヒトラーはこの時のトイツ国民の「過大な苦難」をよく理解していたのだ。だから、スムーズに、静かに権限を掌握できたのだ。

 日本で、憲法を改正するためには、日本人のもつ苦難をよく理解して、その苦難を解決する策、展望を示せ。その向こう側に憲法改正へ踏み切る道筋がみえてくる—と言いたいのだろうな。

 どうだ。
 ナチスがどうとか、おどろおどろしい言葉と麻生発言を結びつけて面白いか。