2013年8月30日金曜日

なんでも可愛いで済ます日本人—と。

表題は中国人の言いである。
 いや、上のような文章があって、中国人が日本人の口癖のような「かわいい」を批評している。

 当たっているとも思うし、ピントが外れているとも思う。

 まず、その文章を抜粋。

 日本語の「かわいい」は漢字で書くと「可愛い」で、中国語でも「可愛」となる。
 語源は中国語ということになるが、中国では女性しかこの言葉を使わない。
 対し、日本では老若男女が口癖のように「かわいい」を連発している。

 何事も真面目な日本人は「かわいい」研究にも余念がない。
 明治大学の教授は著書「『かわいい』論」で日本人の美意識は11世紀の「もののあわれ」、 13世紀の「幽玄」、16世紀の「わび」、18世紀の「いき」と続いており、この「かわいい」も21世紀の日本の「美学」と言えるかもしれない、と。

 だが、幼い子どもや小さい物などを見て、思わず「かわいい」と言ってしまうのは分かるのだが、日本人の「かわいい」は少々度を越しているような気がする。
 警察のPRポスターが「かわいい」だと真剣みに欠ける気がするし、30歳を超えた女性が舌足らずな「かわいい」声で話しているのを聞くと鳥肌が立ってくる。

 上司の出っ張った腹を見ても「かわいい」、気持ち悪いものは「きもかわいい」、ブサイクなものは「ブサかわいい」と、どんどん変質している。
 日本人はなぜこれほどまでに「かわいい」を連発するのか。

 それは目の前の人や物に対し、褒めようがなくて困った時に使える便利な言葉なのだ。
 とっさに何といえば分からない時、「かわいい」と言って何となくその場を丸く収める。
 その一方で、日本人は幼稚なものを「かわいい」と形容し、複雑なものを嫌うようになった。
 「おバカ」が個性的だともてはやされるようになれば、 学習力が低下するのは当たり前。

 社会全体の責任感が薄れ、ひきこもりの状態に陥っていく。
 今の日本社会は活気がなく停滞しきっており、 ゆっくりと落ちぶれていっているように感じる。
 「かわいい」は諸刃の剣だ。

 人付き合いを円滑に運ぶ便利な道具だが、日本社会にもたらす副作用も徐々に露呈し始めている。
 マッカーサーの見る目は鋭かった。彼は早くも1960~70年代に日本人の本質を見抜いている。
 「日本人はみな12歳の国民だ」と言っていたのだ。


▲補足、感想など

 中国人の「上から目線」ってやつは、変わらないなぁ。
 どうしても尊大ぐせ、ふんぞりかえらずにはおられない—のだな。

 中国語という欠陥言語を使っている民族から、なんだっけ、日本人の「学習力が低下云々」などと聞きたくもない。
 自らの言語が「欠陥言語」だということをまず認めよ。あんな言語で、科学が発達するわけがあるまい。

 いや、話がとんでもないところへいった。

 かわいい—か。
 まぁ、意味の広い言葉ではある。

 しかし、中国人が指摘しているような「褒め言葉」でもない。
 なんというか、「愛着の程度を表す」、「自分と他者との距離をちかづける」—そんな言葉ではあるまいか。

 筆者は、鉢植えにした植物を育てている。
 この夏は、暑さで管理が大変だった。
 朝晩の水撒きで、やっと生命を永らえた—という気持ちがする。
 かわいい—と表現するにはいささか、アレだが、この夏をともに乗り切ったということで、愛着のある「かわいい」植木達だ。

 この表現っておかしいか。

 そういえば、どこかでこんな言葉を聞いたなぁ。
 とこかの水産大学で、チョウザメの子供を飼っている女子大生が、訪問者に対して「かわいいでしょう」とか言って紹介していた。

 この感じだ。

 日本人の他者への接近を助ける言葉だと理解すると「芯」に近いのかな。
 日本人が仕事にのめり込み易いのは、この感覚なのだと思う。

 上でふれた、植木鉢もかわいいし、チョウザメの子供もかわいいのだ。
 大工にとってはカンナがかわいいし、pcだってかわいい。

 かわいいねぇなど—といいながら、対象に近づくと、愛着が沸くし、近づき易いのだろう。

 どうだろう。
 記事の中国人には分からぬ、日本人の感覚だろう。