▲加藤さんが引退した。
昨年末の衆議院選で落選しているから、事実上、すでに引退状態だった。
しかし。
この人なんなのだろう。
「首相候補」とか言われたことが、出世コースからの転落の原因かな。<いや、言われることは別に悪いことではない。ただ、それによって自分の立ち位置を見失ってしまうのだ>
恐らく、舛添さんもこの加藤さんと同一の軌跡をたどりそうだ。
そういえば、自民党の林さんとかいう人も「首相候補」だとか。
う~ん、林さんも余程用心しなければ、加藤さんの二の舞だろうなぁ。
首相候補とか言われると、有頂天となって、自分の「立ち位置」を見失うのだろうな。
あぁ、安倍さんの51才くらいで総裁候補となったときの言動の危うさを森さんが言及していたな。
卑近な例でいえば、昨年の自民党の総裁選のとき、石原伸晃さんが「本命」とかいわれて、あやうく、転落しかけたが、あれと同じだろう。
50才という年齢を越えても、こうなるのだからなぁ、--男の自惚れは死ぬまで--ではある。
以下、新聞から抜粋。
日本政府が日本軍の慰安所設置と運営、監督に関与したと初めて公式に認めた加藤紘一
元官房長官(73歳)が、事実上政界を引退した。
18日、日本メディアによれば、加藤元官房長官は17日、山形県鶴岡市で開かれた後援会の集いで三女の加藤鮎子(33歳)を後継者に指名すると明らかにした。
世襲政治家である加藤元長官は、外務省の中国課事務官を経て1972年に初当選した後、
衆議院13選の経歴を重ねた。
防衛庁長官、官房長官、自民党政務調査会長と幹事長など
の要職を歴任して、自民党の革新指向の政治家として数えられた。
1992年7月6日、宮沢喜一内閣当時の官房長官としてで日本政府が軍の慰安所設置と運営、
監督に関与したと初めて認めたいわゆる『加藤談話』を発表した。
当時、日本が慰安婦強制連行を明確に認めないという批判が申告されて、翌年に『河野談話』が出たりした。
自民党内では1998年から宏池会を導き、
橋本龍太郎内閣誕生に貢献するなど影響力を発揮した。
しかし2000年、森喜朗総理に対立して、いわゆる『加藤の乱』を起こして以降、少数派に転落した。
昨年末の総選挙
では無所属候補に押されて落選した。 。
補足、感想など
45才くらいで、防衛庁長官となったのだったか。
一応、ウイキペディアをさっと読んでみた。
この人。
頭はいいのだが、「カンの鈍い」人だ。
「空気が読めない」とか「大勢が読めない」といってもいいのかな。
小泉さんと対極的な人といっていい—と思う。あぁ、昔、ykk
とかいうのがあったなぁ。
小泉さんは、カンのいい人だ。空気が読める。
このあたり、個性といえば個性だ。
理屈はたつのだけれど、実践させると失敗する—という感じかな。
戦国の武将として生まれれば、指揮を間違えて、すぐに首を取られそうな—そんな危うさをもっている。
そんな人が「首相候補」とか言われたばかりに、若くして掴んだ出世コースから転落したということだろうなぁ。
また、中国語にたけているばかりに、中国に取り込まれてしまったのだろう。
記事の慰安婦問題にもあまりに安易に関わっている。
カンの鈍い政治家が、中国に取り込まれ、更に首相候補と言われて、完全に「自分の立ち位置」を見失ったのだろう。これでは国民の支持を得ることもできまい。
ついでながら、後継者指名といったところで、その意味もあるまいに。