▲イギリス人がjap
をjap
と言ってなにが悪いか—という。
産業革命に100年も遅れる民族をそう言ってなにが悪い—かと。
いや、まぁ、その通りだ。
悔しいが事実だから、認めるしかない。
う~ん、だから。<ちょっと強引だが>
産業革命に200年も遅れた中国人という民族のいう「難くせ」なんぞ、どうでもいい。
ましてや、500年も遅れる筈の韓国人・北朝鮮人という民族のいうことなんぞ、更にどうでもいい。
以下、新聞から抜粋。
中国紙「環球時報」は、日本の閣僚による靖国神社参拝をめぐり「中国人はこれを見下すか無視すべき」と主張。
中国を興奮させようという日本の戦略にデリケートに反応する必要はない。
同紙は社説で「中国が急激に台頭している状況下で、日本は日米同盟の強化以外にこれといった
戦略的な対策を講じることができないまま困惑している」として「靖国神社参拝は、こうした日本の相対的な衰退に対する心理的な不満と
拒否感が根底にある」と主張。
同紙は「中国と対決すれば、長期的に見て日本は袋小路に追い込まれることになる。
靖国神社参拝は自己欺瞞と陶酔のための麻薬のようなものであり、
参拝を続ければ、日本は麻薬に溺れた廃人のように自ら興奮し、没落していくだろう」と書いた。
中国の対応策について「日本が最も恐れているのは、まさに中国の持続的な発展だ。
中国は対等な反撃という原則にこだわる必要はなく、むやみに挑発できないよう断固たる態度を示すだけで十分だ」と主張した。
「日本は『小日本)』にすぎないのだから、
日本のこうした戦略を見下すか、または無視すべき」と強調した。
解放日報も寄稿文で「日本の政治家たちの神社参拝は『3宗罪』を犯したもの」と強く批判した。
同紙は「今回の参拝は日本国内の基本的な歴史認識を無視したものであり、東京裁判(極東国際軍事裁判)をはじめ
第2次世界大戦以降の国際秩序に挑戦している上、隣国の国民感情を刺激するという三つの大きな罪を犯している」と主張した。
▲補足、感想など
イタリアに旅行に行ったとき、ローマ市のど真ん中に「戦没兵士の碑」という巨大なモニュメントがあった。
これはイタリアの名誉を守るために戦って亡くなった兵士を祀るもので、24時間・365日、雨の日も風の日も、2人の衛兵<なお、露天だ>により守られ、「いかなる批判・誹謗中傷」もこれを断固として拒否している。
筆者は、靖国神社についても上で書いた「戦没兵士の碑」と同じようにすべきだ—と考える。
日本という国の名誉を守るために戦って亡くなられた兵士への「いかなる批判・誹謗中傷もこれを断固として拒否すべき」だ。
日本は19世紀後半、英国の産業革命に約100年遅れて、明治維新というリセットを経て、再出発した。
欧米列強に肩を並べるという明治の元勲達の悲願は約130年後、21世紀に入った頃に叶えられた。
つまり、100年遅れればほぼそれと同年数の歳月が「追いつくためには」必要だということだ。
中国という国は、1980年頃、産業革命に約200年遅れて、トウ小平氏の「改革開放政策」により、出発した。
以後、約35年くらいが経過したところだ。
日本が100年遅れで、追いつくのに130年を必要とし、中国が200年遅れで35年でどうこうした—って。
確かにインターネットというものが発達し、情報の伝達量が過去と比較にならないほど、速く、膨大なものとなった。
それでも—最先端に追いつくのに35年では無理だ。
もう30年くらいは絶対に必要だ。<つまり、200年遅れを60-70年くらいで追いつく---やや、早いとは思うがありえないとも思えない>
これが、合理主義だ。こう考えるのが常識だ。
ところが、中国人はそう考えない。中国人はもう追いついた—という感じでものをじゃべるのだ。
ここらだな。
北京でオリンピックを開催したとき、胡錦濤前国家主席が「5千年の中国の歴史」云々としゃべる感覚につながっている。
「事実」を「中華思想」というサングラスを通してみてしまうのだ。
うぬぼれはうぬぼれに過ぎない。事実とは違う。
もう一度、冒頭へ戻ろうか。
イギリス人が日本人をjap
と言ってなにが悪いか—という。
日本人は、産業革命に200年も遅れる民族(中国人)の言うナンクセなど、どうでもいい。