2013年4月3日水曜日

フロッピーディスクの処分の仕方。


3.5インチのfdが室内に大量にあって処分に困った。
 こんなにあってどうすればいいのだろう。
 そのまま捨てるのもなんだし、1枚づつ、完全フォーマットするもの面倒だし。
 ハンマーで壊せばいいのだろうが、音がするだろうしなぁ。

 てな感じで。
 それなら、なにか知恵はないか—とインターネットで検索してみると、アレ「処分の仕方」が書いてあった。
 なるほど、便利な世の中ではある。
 ここにきて、「教えあう時代」が来たのだな。
 とにもかくにも、「処分の仕方」を転記してみよう。

--ここから--
 3.5インチFDを捨てる場合、完全フォーマットするより短時間で処分できますので大量破棄に向いています。

■用意するもの
カッター、ゼムクリップ

■方法
3.5インチは圧着式ケースに入っており、やや面倒。

 まずFDの表面左上部分を真上から覗きこむと小さなバネが見える →これをゼムクリップを曲げて引っ張り出します。一度やってみれば難しくありません。

 バネをはずすとスライド金具(磁気面を覆っている金具)も外れます。

 →内部のディスクの磁気面の一部をカッターで切り取る

--ここまで--

 こうして、ゴミ箱へ---ということ。

 冒頭で互いに「教えあう時代」がきた—と書いた。
 まぁ、そうとも言えるし、「三人寄れば文殊の知恵」という諺が段々拡張されつつある時代だとも言える。
 三人どころか、ウン百万寄れば☓☓の知恵—ということでもあるのか。

 筆者は団塊の世代だが、若い頃におぼろげに想像していた「未来の形」となにか—現実が違うような気がする。
 そうか。
 筆者の想像していた「未来形」というものは、たぶんに「手塚治虫さん」が描いていた「未来形」に影響されているのだな。
 現実の未来への接近の仕方が、例えばタタミ→洋室 になるというのではなく、たたみ → たたみの形は同じだが、たたみ表などが合成繊維になる—という風に。

 日本の未来というものは、多分、上で書いたように「今の姿」をとどめたまま、中身だけが変化していくという「やり方」と取るのだろう。

 障子とか襖の形を残したまま、強化された障子で防災・防炎も可能—とか。
 いかにも和風仕様で、進化していきそうだ。

 話がどこかへいったが。
 冒頭の話へ戻れば、「教えあう社会」というのは、インターネットというものを「日本人なり」で「消化」するとこんな感じになりますよ—ということなのだろうなぁ。.