▲日経新聞に巣食う朝鮮系の記者—あぁ社説か。ならば、論説委員あたりということか。
こういう朝鮮系の論説委員って頭がおかしくないか。
1945年までは、朝鮮半島は「日本」だった。そこに住んでいたのは日本人だ。
仮に、日本に戦争への「責任」とかがあるとしたら、自分達も同罪ではないのか。
あれは、日本人がやったことで、オレ達はしらないよ。その時は、日帝の「奴隷」だったのだ—とかいうのか。
話の発端から「破綻」していないか。
以下、新聞から抜粋。
61年前のきょう、サンフランシスコ講和条約が発効し、日本は独立を回復した。
政府はこれを祝う「主権回復の日」記念式典を初めて開催する。
この行事をどう受け止めたらよいのか。
政府内には講和条約締結60年だった2年前から祝賀行事を開いてはという声があったが、
民主党政権下で日米関係がぎくしゃくして見送りになった。
自民党は衆院選の公約に式典開催を明記しその実行である。
気になるのは行事の前史だ。
1997年に「主権回復の日」の政府式典開催を求める学者らが集会を開いた。
趣意書には「占領軍即席の憲法」との表現がある。
参加したのは、先の戦争は聖戦で、東京裁判は不当な断罪と考える人たちが多かった。
政府式典がこの延長線にある行事だとすれば、多くの国民が首をかしげるだろう。
自民党もその時点では式典開催に動かなかった。
きょうの政府式典を開く原動力になった主権回復記念日議員連盟の考え方はこれと同じではない。
そもそも日本はなぜ主権を失ったのか。
正義は日本にあったが、力及ばず負けたからなのか。
そうではなく、日本が誤った道を選んだことこそ原因ではないのか。
議連の野田毅会長は戦後日本の出発点の日を明確にすれば、それまでの日本がどんな失敗をしてきたかが浮き彫りになると説く。
日本は戦争責任がどこにあるかを曖昧にしてきた。
それが歴史認識の食い違いを生み、
戦後68年を経てもときに周辺国とあつれきを生む一因になっている。
戦争に突き進んだ道筋を振り返れば、中韓との関係改善の道もみえてこよう。
政府式典の正式名称に「国際社会復帰」という単語が足された狙いもそこにある。
61年前の主権回復の枠外に置かれた沖縄では「我々を見捨てた日を祝うのか」との反発が出ている。
知事は「県民には複雑な感情がある」と式典への出席を見合わせた。そうした心情も理解する必要があろう。
ただ、主権を取り戻した日本が米国に働きかけ、交渉を経て返還にたどり着いた経緯も忘れてはならない。
沖縄との溝はどうして埋まらないのか。
答えを出すには本土の人がその疑問を意識する機会が多いほどよい。
「主権回復の日」はそんな日にもなり得る。
▲補足、感想など
こんな記事ってどうして書けるのだろうな。
オレ達ちゃ朝鮮人で、悪いのは皆日本人—って感覚を根底にもっているのか。
名前こそ、日本人ぽくしているが、オレ達は日本人ではない—いわば、元奴隷が、元奴隷主を攻撃して「どうだ、やっつけてやった。気持ちいいぜ!!」てな感覚で書いているのだろう。
だから、こんな記事が書けるだろうな。
野田毅さんも同じなのか。
日本が誤った道を選んだことこそ原因ではないのか。
--ってか。
こんなセリフ。そもそも日本人が書けるものか。
こんなセリフをいかにも日本人のふりをして書くから、在日の朝鮮系の人間が嫌われるのだ。
だからこそ、新聞が信用されなくなるのだ。
批判するなら、本名で書けよ。通名なんぞという偽名を使うなよ。
戦争に、善も悪もない。どうしても我慢ができなくなって殴りかかったものだ。
日本は19世紀後半、英国の産業革命に約100年遅れて再出発した。
明治維新後は、今度の安倍内閣のようなロケットスタートだったのだが、いかんせん、100年遅れというハンデが100年以上もついて回って、欧米列強からは「サル扱い」されつづけた。
産業革命に100年遅れだけでなく、帝国主義にも<領土を拡大することが国を豊かにすることだ—という理屈は世界的に普遍的な考え方であって、別に悪者扱いすることではない>100年以上も遅れて出発した。<まぁ、17世紀始めに江戸幕府は、鎖国政策をとり、大航海時代から勝手にドロップアウトしたのだから、遅れて当然だけど>
日露戦争に勝利して以後、日本は増上慢となり、100年先を行く欧米列強と軋轢を繰り返し、太平洋戦争で実力不足で惨めな敗戦となった。
類似したものがあるとしたら、今の中国だ。
中国は20世紀後半、英国の産業革命に200年遅れて、トウ小平氏の改革開放政策を発端として出発した。
以後35年くらいを経過して、gdpが日本を追い越すと、完全に増上慢状態となり、周辺諸国と軋轢を繰り返している。
どうだ。日経新聞の朝鮮系の論説委員は。
今の中国のやり方と20世紀始めの日本とそっくりだと思わないか。
これが「誤った道」なのか。ならば、中国へ向かってもそう書けよ。
つまり、核心は、能力のある・実力のある「出発の遅れた国・民族」と100年・200年先を行く国との軋轢だ。 ついでに、なにかのきっかけで遅く出発した国が「増上慢状態」となったことで均衡が破綻してしまうのだ。
まぁ、ついでにいうと、朝鮮半島は英国の産業革命に500年は遅れる国だ。そのことを直視せよ。
数年前か。
総合誌bで、「日本敗れたり」という特集を組んだことがある。
その記事の中で、太平洋戦争の発端について、「日本の実力がうまく外からとらえられていない」「日本人はいつも過小評価される」--ことだと。
まぁ、日本人全体に「いつまでも、未開のサル扱い」されることに不満があったのだろうな。
う~ん、いつも自分達は「過小評価」される—か。
今の中国人もそう思っているだろうな。
中国には水洗のトイレがありますか?--てな質問をされて、頭にくる--というようなことがあるだろう。
このインターネットが普及した時代でもそんな質問があるのだ。
ましてや、20世紀の前半だ。
100年先を行く欧米諸国から、日本・日本人が興味を持たれる理由があるまい。
彼我の感覚の違いだ。
日本人として精一杯背伸びをしても、欧米諸国から振り向きもされなかった—ということだろう。
どうだ。これが「誤った道」か。
500年遅れの朝鮮系の人間に言われることではないわな。