2017年7月25日火曜日

文学部は何の役にたつのか? 

う~ん。
 学問はなんの役に立つのか? という問いだろうなぁ。
 こう実学というか、なにか直接の仕事に役に立つもの以外、価値がない—てな言い方だろう。
 これはと思う。
 文学を含め、「教養」というものが役に立つのか—という言い方と替りはしない。

 教養とは、迷った時に自分の進むべき道を指し示す羅針盤のようなものだ。
 日本での最高指導者は首相だが、かって麻生さんが、小泉さんを評した言葉がある。
 「あの人は、どすぐろいまでの孤独だ」「あの人に友達なんていませんよ」--と。

 どすぐろいまでの孤独の中に立っている人間が、国の方向を決めるために判断の根拠としているものが、この「教養」だ。
 判断の根拠は、教養以外にない。
 そして、教養の一部として、「文学」というものがある。

 もう一度、「教養の価値」というものを認識して頂きたい。

 以下、新聞から抜粋。

 「文学部の学問が本領を発揮するのは、人生の岐路に立ったときではないか、と私は考えます」。 3月、大阪大学の文学部長が卒業で述べた式辞が、ツイッターで話題に。
 世間からの「文学部って何の役に立つの?」という声に対する考えを語ったもの。
 どんな思いが込められているのか? 。

■式辞の内容は
 大阪大学文学部長で、大学院文学研究科長も務める金水敏さん。
 話題になっているのは、今年3月に開かれた文学部・文学研究科の卒業・修了セレモニーでの式辞です。

 「みなさま、本日はご卒業・修了まことにおめでとうございます」と始まり、ここ数年間の文学部・文学研究科をめぐる社会の動向について、「人文学への風当たりが一段と厳しさを増した時期であったとみることが出来るでしょう」とふり返ります。

 「税金を投入する国立大学では、イノベーションにつながる理系に重点を置き、文系は私学に任せるべき」といった意見が出たことなどを挙げながら、「文学部で学ぶ哲学・史学・文学・芸術学等の学問を学ぶことの意義は、どのように答えたらよいのでしょうか」と問いかけます。

 「医学部」「工学部」「法学部」「経済学部」などの実例を挙げた上で、「先に挙げた学部よりはるかに少なそうです。
 つまり、文学部で学んだ事柄は、職業訓練ではなく、また生命や生活の利便性、社会の維持・管理と直接結びつく物ではない、ということです」とした上で、こう述べます。

 「しかし、文学部の学問が本領を発揮するのは、人生の岐路に立ったときではないか、と私は考えます」
 「今のこのおめでたい席ではふさわしくない話題かもしれませんが、人生には様々な苦難が必ずやってきます」

 「恋人にふられたとき、仕事に行き詰まったとき、親と意見が合わなかったとき、配偶者と不和になったとき、自分の子供が言うことを聞かなかったとき、親しい人々と死別したとき、長く単調な老後を迎えたとき、自らの死に直面したとき、等々です」

 「その時、文学部で学んだ事柄が、その問題に考える手がかりをきっと与えてくれます。しかも簡単な答えは与えてくれません。
 ただ、これらの問題を考えている間は、その問題を対象化し、客観的に捉えることができる。
 それは、その問題から自由でいられる、ということでもあるのです。
 これは、人間に与えられた究極の自由である、という言い方もできるでしょう」

 「人間が人間として自由であるためには、直面した問題について考え抜くしかない。
 その考える手がかりを与えてくれるのが、文学部で学ぶさまざまな学問であったというわけです」

■文学部長に聞きました
 「人文学類を出た身としてはとても響くものがあるので幾度となく読んでしまう」という文言とともに、金水さんのブログで公開されていた式辞全文がツイッターに投稿されました。
 すると「すごく心に響くものがある」「名文やなぁ」「なんとなく入った文学部の娘に読むのを勧めたい」といったコメントが寄せられ、いいねが14千を超えています。

 この式辞にどんな思いを込めたのか? 金水さんに話を聞きました。

 ――このテーマを選んだきっかけは

 「『人文学は人生の岐路に立ったときに真価を発揮する』という考えは以前から持っていて、2016年の大阪大学文学部案内の巻頭言にも書きました。特に人文系に対する風当たりが強い昨今、卒業していく学生さんたちに、『きみたちが学んできた学問にはこんな力があるんだよ』と伝えて、世の中に対し少しでも顔を上げて生きていっていただけたらという思いでこのテーマを選びました」

――表現で工夫した点は

「できるだけ難しい言葉は使わずに、耳で聞いてすっと理解できるようにとは考えました」

――金水さんご自身の体験との関係は

 「肉体的・精神的につらい状態にあるときに、考えることがつらさを和らげてくれるという実感は何度か経験しました」
 「それ以上でもそれ以下でもありません」

――式当日の反響は

 「卒業生の皆さんは静かに聞いていて下さいましたが、特段の変わった反応はなかったです」

――ツイッターで話題になったことについては

「正直、当惑しています。なんで今頃、と感じましたが、それだけ人文学の行く末を案じ、応援して下さる方が多いんだなと理解し、うれしく思っています」

補足、感想など

 大学は職業訓練校ではない—という当たり前のことを言っているだけだ。
 冒頭でふれた。
 どすぐろいまでの「孤独」の中で、自分の進むべき道を判断する根拠は、自分で蓄積した「教養」しかないのだ。

 教養の価値を見直せ。