2017年7月5日水曜日

日本人は、昇華させるのが得意—だと中国人

所謂、日本人による「魔改造」ということだが。
 中国人の指摘が間違っているとは思わないが、ちょぃと、ポイントが違うような気がする。
 守破離というのが、日本人による「パクリ」を段階化した表し方だ。

 ギョウザを例にとって、表示してみようか。
 守—中国人から水ギョウザを教わった。食べてみよう。
 破ー美味しいけど、もの足りないなぁ。
 離ーそうだ。ギョウザを焼いてみよう。モグモグ。
    てな感じかな。

 この「離」の段階で、その美味しさを「正当に評価する人間」が必要だ。
 つまり、従来の形でなくても、その「新奇さ」を正当に評価できる—そういう多数の人達が必要だ。
 日本の場合、そのあたりを、「その他おおぜい主義」というものが埋めているのだろうな。

 以下、新聞から抜粋。

 中国の料理のうち、日本人の間で根づき、そして愛されている料理と言えば、ラーメンやチャーハン、そして餃子ではないか。
  中国で餃子は主に北方で主食として食べられる料理で、「春節」の時には一族で餃子を作り、皆で餃子を食べるという伝統がある。

 だが、中国メディアは「世界で最も餃子を愛しているのは、中国人ではないかもしれない」と伝え、日本人の方が餃子を好んでいる可能性があると。
  記事は、餃子について「中国が東漢の頃に生まれた料理とされ、約1800年の歴史を持つ」と指摘。

 さらに餃子は日本に伝わって100年程度しか経過していない、日本人にとっては「新しい料理」であるにもかかわらず、日本における餃子の普及度合や認知度、食される頻度は驚きに値すると。  
 さらに餃子を愛する日本人が多いことに触れ、「日本のあるミュージシャンは餃子が好きで全国の美味しい餃子を食べ歩き、自分の訪れた100件ほどの店の中からより選った43件を紹介する本まで作ってしまった」と紹介し、中国人も「世界で最も餃子を愛しているのは日本人ではないか」と感じるほどだと。
 
 また日本に伝わった餃子がさらなる進化を遂げていることも紹介し、日本の餃子専門店のなかには餃子をワインに合うようアレンジしたり、付けタレとして酢醤油以外にわさびやレモン、パクチーなどがあって、店の雰囲気ももはや中華ではなくイタリアンバーのように洗練されていると。

 ゆえに、「日本人は海外から伝わった料理を美食へと昇華させることが異常なほど得意」とした。
 中国で餃子と言えば「水餃子」で主食として食べるのが一般的だが、日本では「焼き餃子」でおかずとして食べられる。

 中国を源とする料理であるが、日本で進化し世界へと広まった料理である「ラーメン」同様、記事は、日本を訪れる際は日本で進化を遂げた「餃子」を味わって見るよう勧めている。

補足、感想など

 中国人の儒教文化というものが、新奇なものを嫌うのだろう。
 日本の場合、上でもふれたが「その他おおぜい主義」であり、なんでもかんでもすぐ「大衆化」してしまう。

 新奇なものなら、大勢でそれをよってたかって、アレコレいじくり回るものだから、あっという間に、新奇なものが陳腐化し、様々なバリエーションが生まれてくる。
 バリエーションの中のいくつかが、後世に残っていくということだろう。

 つまり、「その他おおぜい」による「守破離」であり、結果として「魔改造」と表現されるようなものに変化してしまうのだ。

 こういうことを支えているのが、「識字率ほぼ100%」という「日本人の特徴」だ。
 どうだろう。
 中国人のあの不完全言語=中国語及び実質的な識字率30%~40%では無理だろうな。