▲老人の介護をどうするか—という問題は、なにか、日本の昭和20年代-30年代への回帰を促進しているように聞こえる。
いや、もっと大きく言えば、江戸時代のような循環型の経済へ回帰しようとしているように見える。
原因の1つは日本の人口の減少だ。
筆者は、表題の通り、団塊の世代だ。
昭和20年代の終わりから30年代の初めにかけて、農家のニ男、三男問題というものがあったことを記憶している。
もう、こんな言葉を使っても、その意味すらも見当のつかない時代となった。
何かというと、農家に三人の男の子供がいたとする。
長男が家を継ぐと、ニ男、三男が余ってしまう。この子供をどうするかいな—という話だ。
つまり、余り物なのだ。
そうこうしている内に。
昭和30年代半ばから、日本は年率10%を越える成長率で経済が発展しはじめた。
それにのっかって、上でふれた余ったニ男、三男達が、続々と都市へでて、労働者となりサラリーマンとなったのだ。
こうして、日本の田舎の、大家族主義とか子供が親の面倒をみる—というようなことを含めた「ムラ社会」というものが崩壊した。
都市へ出てきたニ男、三男?達は、いわゆる団地に居を構えることとなり、都市部の近郊に大きな住宅地が次々と造成されていったのだ。
今、この昭和30年代に起こった「ムラ社会の崩壊」というコースを逆に遡るようなタイミングが来たようだ。
ただ、舞台が違う。
大都市の周辺部で、大家族主義、大きな家を建てて一緒に住む、老人の介護等を家族の中でやってしまう—そういう方向へ行かざるを得なくなったのではあるまいか。
それは、「ムラ社会の再構築」というようなことなのだろう。
増え続ける老人達を、もう、若い人達だけでは支えられないのだ。
もう一度、昭和20年代のように、家族で助けあって暮らしていく—という選択肢を選ばざるをえなくなったのではあるまいか。
以下、新聞から抜粋。
医療サービスの公定料金である診療報酬の2014年度改定が決まった。
高齢化で急増する医療ニーズの受け皿を在宅を中心に
つくるとして、施策が並ぶ。
それには、重症患者の受け入れに偏った病院のあり方や、患者が軽い症状でも大病院を受診すると
いった現状の是正が大前提になる。
厚生労働相の諮問機関、中央社会保険医療協議会(中医協)が、厚労相に答申した。
身近な診療所の医師が継続して糖尿病などの治療や健康管理をしてくれる「主治医」には月1万5030円、24時間対応する訪問看護
拠点には1回目の訪問で1万2400円。
歯科開業医の訪問診療には1000円加算――。
今回の診療報酬改定では、在宅医療を進める
ための新たな料金メニューが目立つ。
団塊の世代が75歳以上になる25年には今に比べ医療ニーズが膨らみ、今の病院を中心とした提供体制では受け止めきれないと
いうのは、医療関係者の共通の見方だ。
そこで「病院から在宅へ」のシフトを加速。
在宅でも医療を過不足なく提供しつつ効率化して
費用を抑える将来像を、厚生労働省は描く。
だが、在宅医療を担う体制は脆弱だ。
地域の診療所の多くは手間がかかり、リスクもある在宅医療に積極的とはいえず、今回の
診療報酬改定でその姿勢を改めるかは不透明だ。
東京都内の診療所の職員は「24時間体制の在宅医療は負担が大きく、診療報酬
が少し増額されたぐらいでは踏み切れない」と話す。
今の病院中心の医療提供の「ひずみ」を正すことも欠かせない。
入院基本料が1万5660円(現行)と最も高い「重症患者向け病床」に、
病院が偏っているのは代表例だ。
重症患者向け病床は、救急患者への手厚い看護を目指す厚労省が06年度の改定で創設した。
だが結果は、当初見込みの10倍と
なる約36万床にも膨らんだ。
厚労省は今回、重症患者向け病床を認める要件を厳しくし、2年間で今の4分の1相当の9万床を減らす
方針だが、現実は「医療機関の経営判断次第」(同省)という。
重症患者向けの病床の移行先として今回「地域包括ケア病床」を創設した。
患者を在宅に移すまで回復させる施設で、達成率次第で
従来より高い入院料を得られる。
ただ、病院団体からは「もろ手をあげてケア病床に衣替えするには、微妙な診療報酬」(全日本病院
協会)との本音も漏れる。
病院については、紹介状を持たずに受診する患者が多い病院の報酬を減らす措置を拡大する。
だがこれも、形式的に紹介状さえ
あれば、症状が軽くても受診できてしまう懸念をぬぐえない。
コストの高い大病院への偏重を改め、地域の診療所が在宅患者を診るという医療体制に転換できるかはまだ不透明だ。
▲補足、感想など
なんというかなぁ。
もう、病院だけでどうこうは無理だ。
社会としての仕組みの切り替えが必要な時期であろう。
そして、考えられるのは、冒頭でふれた「ムラ社会の再構築」だ。
ふと、中国福建省にある客家がつくった土楼というものを思い出した。
周囲が敵だらけの時、ドーナツ型の土楼を築き、家族全員が住むのだ。
日本のこれからを考えた時、大きな広めの家を建て、2世帯以上の家族が一緒に住むという傾向が強くならないか。
昭和20年代では、ニ男三男は、邪魔者扱いであった。
それから半世紀経過すると、ニ男、三男を取り込んだような形の「家」「家族」に切り替わっていくのではあるまいか。